グリニッジ天文台が本初子午線に選ばれた理由

グリニッジ天文台(Greenwich Observatory)が経度0度、すなわち本初子午線とされた理由には、歴史的・科学的な背景があります。しかし、ここでひとつ注意しておきたいのは、「世界で最初に年が明ける場所」としてグリニッジを思い浮かべるのは完全な誤解だということです。地球は丸く、日の出は東からやってくるので、グリニッジよりもはるかに早く新年を迎える国々があるのです。では、そんな「年明け後回しの天文台」がどうして世界の基準になったのでしょうか?

1. 航海と経度測定の必要性

18世紀に入り、世界の海洋交易が活発になるにつれ、船の正確な位置を知ることが極めて重要になりました。特に経度の測定は困難で、各国がそれぞれ独自の基準を持っていたため、統一された本初子午線の必要性が高まっていきました。

「北極星の高さで緯度はわかるが、経度は時計がないと測れない」と言われた時代、海上での位置特定の決め手となったのが、正確な時計と天文学の発展でした。そのため、航海者たちは精密な海図や天測暦(Nautical Almanac)を頼りにしており、これをどこを基準にするかが大きな問題となっていたのです。

2. グリニッジ天文台の影響

イギリスのグリニッジ天文台は1675年に設立され、当時世界でも最先端の天文観測を行っていました。特にイギリス海軍はこの天文台を活用し、航海に必要な天測暦や海図を作成していたため、多くの船乗りがグリニッジ基準のデータを使用していました。

イギリスが世界の海を支配していた時代、航海の標準を決める主導権を握っていたのは当然の流れといえるでしょう。実際、19世紀には世界の海運の約72%がグリニッジ子午線を基準にしており、「みんなもう使っているなら、これを基準にしよう」という理屈が次第に強まっていきました。

3. 1884年の国際子午線会議

19世紀になると鉄道や電信の発展により、世界共通の時間基準と経度基準が必要になりました。そこで、1884年にワシントンD.C.で**国際子午線会議(International Meridian Conference)**が開催され、グリニッジを本初子午線とすることが正式に決定されました。

その決定に至った主な理由は以下の通りです。

  • 世界の海運の約72%がグリニッジ子午線を基準にしていた。
  • グリニッジ天文台の測定データが広く普及していた。
  • アメリカを含む多くの国がすでにグリニッジを標準としていた。

会議の結果、グリニッジ天文台を通る子午線が経度0度とする案が賛成22か国、反対2か国、棄権1か国という圧倒的多数で採択されました。

もちろん、この決定がすんなり受け入れられたわけではありません。たとえばフランスは、自国のパリ子午線を基準にしたかったため、会議後もしばらくグリニッジを正式には採用せず、独自基準を頑なに守り続けました(ただし、結局1930年代に折れてグリニッジに従いました)。

4. 現在の本初子午線の微調整

現代のGPS技術を用いて測定すると、物理的な本初子午線はグリニッジ天文台の旧子午線から東に約102メートルずれていることが判明しています。これは当時の天文測定と現代の精密測定の違いによるものですが、依然として「グリニッジ子午線」は経度0度の象徴的な基準であり続けています。

とはいえ、地球の自転がわずかに変化し続けているため、厳密な基準を保つためには常に微調整が必要となります。そのため、実際の世界時(UTC)は原子時計と組み合わせたものとなり、天文学的な本初子午線とは微妙に異なるものになっています。

まとめ

グリニッジ天文台が本初子午線に選ばれたのは、航海における実用性、天文台の影響力、そして国際会議での合意によるものでした。今日においてもその名残は続いています。

しかし、経度0度を司る偉大な天文台とはいえ、グリニッジが「最初に年を迎える場所」ではないことは忘れてはいけません。新年を最初に迎えるのは、キリバスのライン諸島(カロリン島)やニュージーランドのチャタム諸島など、太平洋の東端に位置する国々です。世界の時刻の基準にはなっても、新年の鐘はグリニッジの空よりはるか彼方で最初に鳴るのです。

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