「安酒天国と大麻砂漠」──イギリス薬物政策の不思議な現実

イギリスを歩けば、どの街角にもパブがあり、スーパーには山のように積まれたビール缶が目に飛び込んでくる。アルコールは国民の社交の中心であり、税収源でもあり、何より庶民の娯楽だ。だが一方で、NHS(国民保健サービス)はアルコール依存症の治療や救急対応で毎年約49億ポンドを消費し、社会全体では年間274億ポンドという天文学的コストを飲み込んでいる。にもかかわらず、庶民は今日も2ポンドの缶ビールを片手に「乾杯!」と叫ぶのである。

さて、ここで舞台に登場するのが大麻だ。欧州ではドイツが嗜好用合法化に踏み切り、オランダはカフェ文化で有名。カナダやアメリカの州では既に巨大市場を形成している。ところがイギリスはといえば、大麻は依然として「クラスB薬物」。所持すれば逮捕、販売すれば重罪だ。医療用のごく一部を除き、緑の葉は法の外に追いやられている。

不思議なのは、この2つの扱いの落差である。アルコールは社会に甚大なダメージを与え、死者は2022年だけで1万人を超えた。NHSの病床を埋め尽くし、救急車を走らせ、肝臓を破壊し、家庭を崩壊させている。対して大麻は、確かに乱用すれば精神的リスクや依存の問題があるものの、アルコールに比べれば医療費の負担は圧倒的に小さい。大麻使用障害にかかるコストは、アルコールの数十分の一以下。むしろ医療用に限れば、慢性痛患者の負担を減らし、NHSの費用を年間40億ポンドも削減できるという試算すらある。

それなのに、スーパーでは安酒が山積みで、大麻は一片でも見つかれば犯罪者扱い。この逆転現象は一体何なのか。歴史、政治、社会、国際条約…さまざまな要因が絡んでいることは確かだ。1971年に制定された「薬物乱用法」が、大麻を「危険な薬物」として分類して以来、半世紀以上にわたって政策の方向性はほとんど変わっていない。政治家にとっては「薬物に厳しい態度」を見せることが得票に結びつきやすく、大麻合法化を唱えるのはリスクが大きい。だが同じ政治家たちは、選挙区のパブでジョッキを掲げる姿を好んで見せる。酒は文化、大麻は犯罪。こうして二枚舌が繰り返される。

皮肉なことに、現実にはコカインはナイトクラブから郊外の住宅街まで出回り、警察も取り締まりに手が回っていない。それでも「コカインは犯罪だから取り締まる、大麻も同じだ」と強弁しつつ、アルコールには甘い顔をする。警察も医療も疲弊し、NHSは赤字にあえぐが、スーパーでは今日も安売りのウォッカが棚を彩る。これを矛盾と言わずして何と言おう。

もし「科学的合理性」に基づいて政策を決めるなら、アルコールこそ厳格に規制し、大麻は慎重に合法化して税収に組み込むのが筋だろう。実際、カナダやアメリカの一部州では、合法化によって数十億ドル規模の税収が生まれ、闇市場が縮小し、警察・司法の負担も減った。ドイツも2023年に嗜好用合法化へ舵を切り、欧州内での風向きは変わりつつある。イギリスだけが「大麻は危険だ」と唱えながら、毎晩のように飲酒文化に酔いしれる──まるで酩酊の中で現実を見ないふりをしているかのようだ。

もちろん、大麻にもリスクはある。若年層の精神的影響、依存の問題、交通事故リスクなどは軽視できない。だが、それを言うならアルコールはどうだろう。家庭内暴力、交通事故、自殺率上昇、生活習慣病、あらゆる統計でアルコールは突出している。なのに「酒は文化だから」「みんな飲んでいるから」で許される。まさに「酔っ払いには甘く、葉っぱには厳しく」である。

もしかすると、この矛盾の根っこには「歴史的レッテル」があるのかもしれない。植民地時代に持ち込まれた偏見や、1970年代の政治的スローガン、そして「反社会的行為」と結びつけられたステレオタイプ。酒はホームパーティー、ワインは高級文化、大麻は不良の象徴。この文化的イメージが、政策の舵取りを縛っている。

それでも世論は少しずつ変わっている。最新の調査では国民の半数近くが嗜好用合法化に賛成しており、若い世代ほど支持率が高い。ロンドン市長サディク・カーンは非犯罪化を検討すると発言し、医療用の拡大を求める声も増えている。だが中央政府は依然として頑なで、「薬物に厳しく」というお決まりのフレーズを繰り返すのみ。NHSが悲鳴を上げても、アルコール関連死が過去最多を更新しても、政策は変わらない。

結局のところ、イギリスは「安酒天国と大麻砂漠」という奇妙な景色を抱えたまま進んでいくのだろう。街角のパブでは今日もグラスが鳴り、救急車は酒酔い患者を運び、刑務所には大麻所持で捕まった若者が入る。国の財布からは数百億ポンドが流れ出し、政治家は「我々は薬物に厳しい」と胸を張る。だがその胸の奥には、ビールで赤らんだ肝臓が隠れているのかもしれない。

──果たしてこの国は、いつまで「酒に酔って大麻に盲目」でいられるのだろうか。

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