「子どもが親より先に死ぬことほど、不幸なことはない」――
この言葉を、私たちは何度繰り返してきただろうか。
命の尊さを表すそのフレーズの中には、親としての救いがある。
けれど、その救いは本当に、毎日の行動として伴っているだろうか。
先日、英国でこんな悲劇が起きた。12歳の少年、オリバー・ゴーマン君が、
TikTok上で流行していたという“チャレンジ”「クローミング(chroming)」を模倣した可能性が高いとされ、
自室でデオドラント缶に含まれるガスを吸引して意識を失い、そのまま亡くなったという。 イギリスで12歳少年がTikTokチャレンジ「クローミング」で死亡|SNSの危険と親の責任
わずか12歳。確かに、親より先に命を落とすことほど大きな悲しみはない。
でも、ここで問いたい。親は「何を許した」のか。親は「何を見ていた」のか。
SNSへのアクセスを“簡単に許す”こと。
親がスマートフォンを与え、アプリをダウンロードさせ、
「みんなやってるから」「監視してるから大丈夫」と言いながら、
子どもを無防備にネットの海に放り込んでいないか。
その無防備さこそが、命を奪う毒になりうる。
そして、国内ではこんな制度的な動きもある。
Online Safety Act 2023 によって、2025年7月25日以降、未成年者がSNSなどで有害コンテンツに簡単にアクセスすることを防ぐため、年齢確認やフィルタリングが義務づけられ始めた。
つまり、「法律で制限しよう」という社会的な枠組みが整いつつある。
だが、待ってほしい。法律で制限される前に、親として制限をかけることはできなかったのか?
「法律を待つ」なんて言葉が、子どもの命の前に許されるのだろうか。
SNSという“開かれたゲート”を前に、親はゲートキーパーである。
鍵をかけるのを忘れていたり、鍵穴にゴムを詰めて「大丈夫」と満足していたりしないだろうか。
法律が「もう少し厳しくする」と言い出すそのときに、すでに起きてしまった悲劇。
それを防ぐのは、親の“後手”ではなく“先手”の行動である。
親として確認すべき3つの問い
- アクセス許可の条件を明確にしているか?
スマホ・タブレットの利用時間やアプリの種類、閲覧内容について、家庭内でルールを決めているか。 - そのルールを本気で守らせているか?
「パスワードは共有」「インターネットは常に親の見える場所で」など、形だけで終わっていないか。 - 危険な“チャレンジ”や映像を具体的に伝えているか?
「面白そうだから」「みんなやってるから」で始まる行為が、命の危険に直結するケースがある。 イギリスで12歳少年がTikTokチャレンジ「クローミング」で死亡|SNSの危険と親の責任
最後に
親として、子どもの自由と信頼を尊重することはもちろん重要だ。
だがそれ以上に、大切なのは「子どもを生き延びさせる環境」を整えることだ。
法律が動き出すのを静観するのではなく、家庭の中でまず動く。
その一歩が、取り返しのつかない悲劇を防ぐ道になる。
「子どもが親より先に死ぬのは最も不幸な出来事」――
ならば、私たちはその言葉をたったの願いで終わらせていいのだろうか。
願いではなく、行動に変える時が来ている。










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