「黙する優しさ」か「語る誠実」か──イギリス人に問う、本音と遠慮のあわい

序章:静けさの向こうに

ある秋の午後、ロンドン北部のカフェで紅茶をすする老婦人が、何かを言いかけて口をつぐんだ。そのわずかな躊躇に、この国の美徳が宿っているように思えた。あえて言わないという優しさ。傷つけないための沈黙。イギリス文化にしばしば見られるその「控えめな誠意」は、果たして争いを避ける最善の道なのだろうか。それとも、言葉を呑み込むことは、やがて関係を蝕む毒となるのだろうか。

この疑問を胸に、私はイギリス各地の人々にアンケートを取ってみることにした。質問は一つだけ。

「あなたは、争いを避けるために本音を言わないことを良しとしますか?それとも、誠実にぶつかることを大切にしますか?」

年齢、職業、地域、性別──できるだけ多様な背景を持つ100人に聞いた。その結果を軸に、イギリス人の心の奥に潜む静けさと熱さ、言葉と沈黙のせめぎ合いに光をあてていこうと思う。


第一章:アンケートの結果──数字が語るもの

集まった回答の内訳は以下の通りである。

  • 争いを避けるために本音を控える:62%
  • たとえ争っても本音を伝える:30%
  • 状況による・わからない:8%

この結果からまず読み取れるのは、「言わない」という選択に肯定的な人が過半数を占めるということだ。だがこの数字の背後には、それぞれに異なる理由が潜んでいる。それは「臆病さ」ではなく、ある種の「配慮の美学」である。

たとえば、南イングランド・ケント州のある公立学校教師(女性・45歳)はこう語った。

「正直に言うことで相手を傷つけてしまうくらいなら、私は黙っていたい。それは優しさだと思うし、相手への敬意でもあるのよ。」

この発言には、イギリス文化に深く根付く「ポライトネス(礼儀正しさ)」の精神がにじむ。言葉による摩擦を極力避ける傾向は、植民地時代の階級文化や、公的場面での慎重な振る舞いと無縁ではない。


第二章:沈黙の中の対話──言わないという会話術

あるエジンバラ在住の元外交官(男性・68歳)は、「沈黙のほうが雄弁なときもある」と言った。

「イギリス人は、沈黙の中に多くを語る生き物です。表立っては言わない。でも、アイコンタクト、ちょっとした沈黙、あいまいな表現にすべてが詰まっている。」

これは、いわゆる「ハイコンテクスト文化」と言われるものに近い。明言せずとも「察する」ことが重視される日本文化にも通じる要素だ。イギリスにおけるこのような非明示的なコミュニケーションは、しばしば「冷たい」と誤解されるが、実は高度な繊細さと相互理解の上に成り立っている。

しかし一方で、こうした遠慮が誤解を生み、長期的には関係を壊すこともある。ロンドンのマーケティング会社に勤める若い女性(29歳)はこう答えた。

「遠慮しすぎて、逆にモヤモヤがたまることがあるの。誰かが“我慢の限界”に達して突然キレたりする。だったら最初から言い合ったほうがいいんじゃないか、って思うのよ。」


第三章:本音でぶつかる勇気──対立の中にこそ理解がある

少数派ではあったが、「本音でぶつかる」ことを支持した人々の言葉には、確かな覚悟と誠実さがあった。

マンチェスターの整備工(男性・51歳)はこう話す。

「遠回しに言っても、どうせ誤解される。それなら最初からきちんと本音をぶつけ合ったほうが後腐れがない。」

このような価値観は、イングランド北部やスコットランドの一部で比較的よく見られる「ストレートフォワードな文化」に根差している。歴史的に労働者階級が多く、家族や仲間との率直なやり取りが生活の中に根付いていた地域では、正直な対話が美徳とされる傾向があるのだ。

ある看護師(女性・38歳)はこんなふうに語った。

「患者や家族に、耳ざわりのいいことだけを言っていたら、かえって信頼を失う。本音でぶつかって、そこから信頼関係が生まれることもあるのよ。」

本音を言うことが常に争いにつながるとは限らない。むしろ、誠実さを根幹とする本音の対話は、深い理解と信頼の構築へとつながるのかもしれない。


第四章:文化を越えて──日本人として見つめる

筆者自身、日本人としてこの問いを考えたとき、どこかイギリス人の遠慮深い姿勢に親近感を覚えた。私たちの社会もまた、調和を重んじ、言葉よりも空気を読むことに長けている。だが、それが時に「言わないことへの甘え」や「問題の先送り」になる危険も抱えている。

イギリス人の多くは、こうした選択を「逃げ」ではなく「慎み」と捉えていた。その違いこそ、私たちが学ぶべき点ではないだろうか。


終章:言葉の選び方、生き方の選び方

最後に紹介したいのは、ブリストル在住の詩人(女性・61歳)の回答である。彼女はこう書いてくれた。

「時には黙って微笑むことが愛であり、時には怒って叫ぶことが愛である。どちらが正しいかではなく、どちらが“相手を思っているか”がすべてなのだと思う。」

言葉は時に鋭い刃となり、時に柔らかな抱擁となる。その使い方に絶対の正解はない。ただ、沈黙も言葉も、そこに込める「意図」と「思いやり」が本質なのだ。

イギリス人の控えめな誠実さも、本音をぶつける勇気も、それぞれが一つの“愛のかたち”であるのだと、私はこのアンケートを通じて学んだ。

争いを避けるために黙ることが、時に一番の思いやりであると知る一方で、沈黙の奥にこそ争いが潜んでいることもある。

結局のところ、沈黙を選ぶか、本音を選ぶかは、「どちらが正しいか」ではなく、「どちらが誠実か」で判断されるべきなのだ。

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