
はじめに:政治家の言葉って、なんでこんなにわかりにくいの?
テレビでニュースを見ていて、政治家の会見を耳にすると、ある種のイライラがこみ上げることがある。
「で、結局どうなるの?」「YESなの?NOなの?」と問いただしたくなる。
「現時点ではコメントを差し控えたい」
「慎重に検討していきたいと考えております」
「状況を注視しております」
こうしたフレーズ、聞き飽きた方も多いのではないだろうか。特に日本、そしてイギリスの政治家は「とにかく断言を避ける」傾向が強い。
「白ですか?黒ですか?」という問いに対して「状況によりグレーにも見えますし、黒とも白とも言えます」というのがテンプレ回答。まるで禅問答のようだ。
だが一方で、アメリカの政治家、特にトランプ元大統領のような「断言型」のリーダーもいる。彼は「フェイクニュースだ」「中国のせいだ」「我々が最強だ」と、良くも悪くもはっきり言う。そのコントラストは際立っている。
では、なぜイギリスと日本の政治家は「言い切らない」のか?
そして、はっきり物を言うリーダーは信頼できるのか?本記事ではその背景と文化、政治構造の違いを考察していく。
曖昧な政治言語:イギリスと日本に共通する文化的土壌
1. 「空気を読む」文化の落とし穴
日本において「空気を読む」は、もはや国民的スキルとも言えるが、イギリスもまた同様に“含みの文化”を持っている。
両国とも「本音と建前」を使い分ける傾向があり、「相手の顔を立てる」「波風を立てない」言葉選びが美徳とされる。
例えば、イギリスでは“No”とは言わずに、
“It’s a bit difficult.”(少し難しいですね)
“We’ll think about it.”(検討しましょう)
というように、やんわりと断る表現が好まれる。
日本でも「前向きに検討します」はほぼ「やりません」の意味に使われる。
こうした文化が、政治家の発言にもそのまま反映されているのだ。
2. 責任回避と「集団的意思決定」
イギリスも日本も、首相や大臣の権限が「絶対」ではない。日本は官僚主導の政治が色濃く残り、イギリスも「内閣」の合議制が基本。
だから政治家個人の「断言」にはリスクが伴う。何かを断言すれば、その決定をひとりで背負わねばならない。そこで登場するのが「多角的な検討」「関係各所との調整」「今後の動向を注視」というマジックワード。
結果として、「何も言っていないのに何か言ったような」答弁が出来上がる。言葉の芸術、あるいは言葉の迷路。
トランプはなぜ「断言できた」のか?:明言型リーダーのメカニズム
アメリカの政治文化は、基本的に「個人主義」と「直接的なコミュニケーション」を重視する。
それが顕著に現れたのがドナルド・トランプである。
彼の演説スタイルは、シンプルで感情的で断言的。
- 「We will build the wall!(壁を作る!)」
- 「China is cheating us.(中国は我々を騙している)」
- 「I know more about ISIS than the generals do.(私は将軍たちよりISISをよく知っている)」
事実かどうかはさておき、「自信を持って断言する」という行動は、多くの有権者の心に響いた。
迷いのない言葉は、真実味があるように聞こえる。それがブラフであっても。
トランプの断言力は「ビジネスマン的発想」にも基づいている。彼はディール(交渉)のプロとして、「はっきり言う」「大きく言う」ことで、主導権を握る戦法を使っていた。
■ では断言=優れたリーダーか?
それは一概に言えない。
トランプの断言には説得力がある一方で、数々の虚偽発言、事実の歪曲も多かった。
「自信ありげに言う=本当」と思い込むのは、プロパガンダの基本構造であり、時に危険だ。
政治家の「断言しなさ」は、本当に悪なのか?
1. 慎重さは「誠実さ」の裏返しでもある
日本やイギリスの政治家が発言を慎重に選ぶのは、裏を返せば「軽率な発言で誤解を生みたくない」「根拠のないことを言いたくない」という、誠実さの証でもある。
たとえば、「原発を廃止します」と一言で言うことは簡単だ。だが、その裏には電力供給、雇用、経済、外交、安全保障といった無数の変数が存在する。
だからこそ、「断言できない」ことが多い。これを無責任と切り捨ててよいのか?
2. メディアと世論の「断言要求」にも問題がある
政治家に対して「はっきり言え」と迫る一方で、発言の一部だけを切り取り、過剰に批判するメディアの姿勢もまた、慎重発言の原因だ。
「言質を取られないようにする」政治家のテクニックは、いわば自己防衛でもある。
言葉の誠実さとリーダーシップ:私たちは何を求めているのか?
結局、我々有権者は「何を言ったか」よりも「どう実行するか」を見るべきだ。
言葉は大事だが、言葉だけに踊らされてはいけない。
- 明言型:響くが嘘も多い
- 曖昧型:響かないが誠実な時もある
このジレンマの中で、政治は進んでいく。
結論:世界中の政治家、口だけかもしれないけれど……
日本でもイギリスでも、アメリカでも、他のどの国でも、政治家が口にする言葉は、選挙や支持率、派閥、人間関係、国際関係、あらゆる駆け引きの中で調整された「戦略的言語」である。
だから「本音」や「断言」は滅多に見られない。
とはいえ、トランプのような断言型リーダーがもたらす混乱を目の当たりにした今、「曖昧だけど安定している」というスタイルもまた、ある意味では評価されてよいのではないかと思う。
「口だけなのは全世界共通」——それはあながち皮肉だけではなく、むしろ現代政治における共通認識なのかもしれない。
私たちがそれをどう受け止め、どう投票するか、それこそが真の「政治的責任」なのだ。
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