
日本人の“湯文化”はなぜ海外に理解されにくいのか考えてみた
日本人にとって、「湯につかる」という行為は単なる身体を清潔にする手段ではない。癒しであり、日々のストレスから解放される“儀式”でもある。仕事で疲れて帰ってきたとき、温泉や銭湯に足を運ぶとき、そこには心身をリセットする目的がある。
一方、筆者がロンドンで暮らしていた数年間、ふと気づいたことがある。それは、「イギリス人は本当にお風呂につからない」という事実だ。彼らにとっては、シャワーこそが“風呂”の役割を果たしている。そしてもっと驚いたのは、温泉や銭湯という文化に対して、ほとんどのイギリス人が理解を示さないということだった。
今回は、日本人にとってあまりにも当たり前すぎる「湯文化」が、なぜイギリス人にとって“異文化”として認識されるのかを、文化的背景・歴史・生活習慣などを交えて考察してみたい。
◆ お風呂とシャワーの「根本的な価値観」の違い
まず、イギリスの住宅事情から見てみよう。ロンドンをはじめとする都市部では、築100年を超える古い家も普通に現役で使われている。風呂場の多くは小さく、浴槽自体が浅くて狭い。中には浴槽がなく、シャワーのみという家庭も多い。
しかも、イギリスでは「風呂にお湯をためてつかる=贅沢・時間の無駄」という感覚がどこかに根付いている。実際、筆者が現地の友人に「毎日お風呂に入るよ」と話したところ、「水がもったいない」「そんな時間どこにあるの?」と驚かれた。
さらに、イギリスはガス料金や水道代が非常に高い国の一つである。特に冬場の光熱費は跳ね上がる。そのため、効率重視で短時間で済むシャワーの方が圧倒的に支持されている。
◆ 「お湯に長時間つかること」への警戒心
文化背景も大きい。イギリスは基本的にプロテスタント系のキリスト教国であり、「節度」「勤勉」「自制」が美徳とされる。贅沢や享楽をどこかで“罪悪”と見る傾向があるため、お湯につかってのんびりするという行為に対して、ある種の無駄・怠惰・非生産的な印象を持っている人も少なくない。
これは、温泉で1時間以上ぼーっと過ごすことに幸福を見出す日本人とは真逆の価値観だ。
◆ 「裸の付き合い」は非常にハードルが高い
もうひとつ、日本の温泉や銭湯文化がイギリス人にとって受け入れがたい理由がある。それは「他人と裸で一緒に風呂に入る」という点だ。
イギリスを含む欧米諸国では、「プライバシー」や「身体的な境界線」に対する意識が非常に強い。同性同士でも、他人の前で裸になることには強い抵抗がある。日本のように“裸で入る温泉”の文化は、どれだけ理屈で説明しても「恥ずかしい」「気まずい」という反応が返ってくる。
日本では、小さいころから銭湯に親しみ、「裸は恥ずかしいことではない」という価値観が根付いている。しかし、イギリス人にとってはそれが文化的な“壁”となってしまう。
◆ 温泉を紹介しても「理解されない」悲しみ
筆者はこれまでに何度か、イギリス人の友人を連れて日本の温泉地を訪れたことがある。が、正直に言うと、あまり好反応を得られたことはない。
ある友人は「最初から最後まで不安で、全然リラックスできなかった」と言い、また別の友人は「ぬるいお湯に長時間入る意味がわからない」と言った。風呂上がりのコーヒー牛乳にも興味を示さず、温泉たまごには一口も手を付けなかった。
こちらとしては「この極上の時間を共有したい」という思いで案内しているのだが、文化の壁というのは思った以上に厚く、乗り越えられないものであることを実感する。
◆ シャワー生活に満足しているのか?
イギリス人の多くは、シャワー生活に何の不満も感じていない。朝起きてサッと浴びて仕事へ行き、夜はそのままベッドへ。汗をかいてもタオルで拭いて済ます人も多く、日本人のように「毎晩入浴して清める」という考えはあまり見られない。
とはいえ、近年ではストレス解消やマインドフルネスの一環として、“バスタイム”の重要性が少しずつ見直されてきてはいる。アロマやバスボムを使ったバブルバス、長風呂を楽しむインフルエンサーの登場など、「自分のための時間」としての風呂が徐々に注目されているのも事実だ。
ただし、それでも「裸の付き合い」や「大衆浴場」というスタイルにはまだまだ大きな抵抗がある。
◆ 文化は“正しさ”ではなく“慣れ”である
結局のところ、文化というのは“正しい・間違っている”という問題ではない。どんな生活スタイルも、それぞれの国や地域の気候・歴史・宗教観・経済状況などに根ざして成立している。イギリスのシャワー文化も、日本の温泉文化も、どちらもその土地で“最も自然”な形で育まれてきた結果なのだ。
だからこそ、「なぜ彼らは風呂に入らないんだろう」と一方的に不思議がるのではなく、「彼らにとってはこれが普通なのだ」と理解する姿勢も大切だ。
そして同時に、日本の温泉文化が持つ“癒しの力”や“共同体としてのぬくもり”が、いかに奥深くて美しいかを、私たち自身がもっと再確認する必要もあるだろう。
◆ おわりに:文化を伝えるには“体験”が必要
イギリス人にとって、温泉文化は「理解ではなく、体験を通して初めてわかるもの」かもしれない。いくら理屈で説明しても、それがどれだけ気持ちよく、心をほどいてくれるものなのかは、実際にお湯につかってみなければわからない。
だからこそ、文化の違いに壁を感じるのではなく、少しずつ“紹介”していくことが大切だ。「一緒に温泉行ってみない?」と気軽に声をかけること。最初は足湯や貸切風呂でもいい。まずはその気持ちよさの“入り口”に立ってもらえれば、そこから何かが変わるかもしれない。
「風呂につかることが人生を変えることもある」
そう信じて、今日も私は湯に浸かる。
その深さと温かさを、いつか誰かと分かち合えることを願いながら。
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