
「2030年にはガソリン車とディーゼル車の新車販売を終了する」という政府の目標を掲げるイギリス。しかし、その道のりは決して平坦ではありません。政府はEV購入者に最大で約3000ポンドの補助金を提供し、充電インフラの拡充にも投資を進めていますが、実際には普及が思うように進んでいません。
その背景には、EVという新しい技術ならではの問題だけでなく、イギリス特有の住宅事情、地域間格差、価格政策の課題が複雑に絡み合っています。今回は「なぜイギリスでEV普及が進まないのか」を、現場の視点から掘り下げてみたいと思います。
1️⃣ EVはまだまだ「高い買い物」
まず多くの消費者が感じるのは「EVは高すぎる」という現実です。たとえば、イギリスの小型車市場で人気のVauxhall Corsaの場合、ガソリンモデルよりEVモデルは約5700ポンド高価です。政府が用意した最大3000ポンドの補助金を差し引いても、なお2000ポンド以上の差が残ります。
また、EVの販売価格が高い理由の一つはバッテリーです。EVのコストの大部分はバッテリーに集中しており、原材料価格が高止まりする中で値下がりは簡単ではありません。この「価格差」が、消費者の心理的障壁になっています。
さらに購入時の不安要素として「中古市場での価値」があります。EVのバッテリー劣化や技術進歩の速さが「数年後に価値が急落するかもしれない」という懸念を呼び、購入をためらわせているのです。
2️⃣ 充電インフラの偏在と「充電デザート」
イギリスのEV普及における大きな課題が「充電インフラ」の不足と偏在です。ロンドンや主要都市圏には比較的充実した充電ステーションがありますが、地方や郊外では状況が全く異なります。
いわゆる「充電デザート」と呼ばれる、最寄りの急速充電器が25km以上離れているエリアも多く存在します。特にイングランド北部、南西部、農村地域では「そもそも充電する場所がない」状況であり、こうした地域の住民にとっては「EVを買う」という選択肢自体が現実的ではありません。
加えて、イギリスの住宅事情も障害になります。約40%の世帯は自宅敷地内に駐車場を持っておらず、「自宅で夜間に充電する」ことができません。そうした人々は公共の充電器に頼らざるを得ませんが、その数は限られ、充電器の稼働率や故障率にも問題が残っています。
3️⃣ 公共充電は「高い」「面倒」「不便」
仮に近所に充電器があったとしても、そこにはさらなる課題が待っています。自宅充電では1キロワット時あたり6~10ペンス程度の電力料金で済むところ、公共の急速充電器では80ペンスにも達するケースがあります。
これは「110マイルを走る場合、自宅充電なら2~3ポンドで済むのに、公共充電だと25ポンド以上かかる」という格差を生み出しています。結果的に「充電できる環境を持たない人ほど、ランニングコストがかかる」という矛盾した状況に陥っています。
さらに、充電器ごとに異なる認証方法、決済方法も利用者のストレスを増大させています。スマートフォンアプリの登録、専用カードの発行、異なる料金体系など、現状の公共充電体験は「ガソリンスタンドで給油する」というシンプルさからほど遠いと言えます。
こうした細かい「煩わしさ」も、特に一般消費者のEVへの関心を削ぐ要因です。
4️⃣ 支援制度が「足りない」「一貫性に欠ける」
イギリス政府はかつて「Plug-in Car Grant」というEV補助制度を導入しましたが、2022年に一度廃止。その後、再び3000ポンド程度の補助を設けています。こうした制度の「出たり消えたり」は消費者に不信感を与え、「本当に今EVを買ってよいのか」という疑問を生じさせます。
また、支援の内容も限定的です。新車購入補助に加えて、政府は「公共充電器への投資」を行っていますが、その予算規模は決して十分とは言えません。
さらに、家庭充電と公共充電で課税率が異なる問題もあります。家庭用電気料金には5%の軽減税率が適用される一方で、公共充電では20%の標準VATが課されるため、自宅で充電できない人が割高な負担を強いられているのです。これは「住宅環境によって支払うコストが左右される」という公平性の問題として注目されています。
5️⃣ 地域間格差・社会格差も背景に
都市部・裕福層ほどEVの導入が進んでいる一方で、地方や所得の低い人々は「価格が高くて買えない」「充電場所がない」「公共充電が高い」と三重の不利を抱えています。
つまり、現状のEV政策は社会的弱者に不利に働いており、このことが格差の拡大を助長しかねないという懸念が指摘されています。EV政策は「地球環境のため」という大義名分がありますが、その一方で「公平性」という観点から見れば改善が必要な状態なのです。
6️⃣ 何が必要か?改善へのヒント
では、イギリスでEV普及を進めるためにはどのような改善が必要なのでしょうか。主なヒントを挙げてみます。
🔹 公平な充電インフラ整備
地方、特に充電デザートと呼ばれるエリアへの重点的な充電器整備が不可欠です。また、住宅街では「歩道下への充電ケーブル配線」など現実的な解決策の導入も必要でしょう。
🔹 公共充電の料金改革
家庭充電と同じ5%VATの適用、公的補助による価格調整、場合によっては特定の条件下での「無料充電」オプションなど、公共充電の負担軽減が求められます。
🔹 充電器の信頼性向上と利便性改善
故障率の低減、複雑なアプリ・カード認証の簡素化、ワンタッチ決済の普及など、利用者目線のサービス改善が重要です。
🔹 一貫性ある長期的支援
消費者が安心してEVに乗り換えられるよう、補助金政策やインフラ政策に「予測可能性」と「継続性」を持たせることが大切です。過去のように政策が二転三転すると、消費者は慎重になり、結果として普及が遅れます。
まとめ
政府の支援金は確かにEV購入への後押しにはなりますが、車両価格の高さ、充電インフラの偏在、公共充電のコストと手間という現実的なハードルの前では、まだ「不十分」と言わざるを得ません。特に、住宅事情や地域格差を背景とした「公平性の課題」が、イギリスのEV普及を難しくしています。
EVの普及は単なる自動車の買い替えではなく、社会全体のインフラ整備、制度設計の見直し、そして「誰でも使いやすい」という公平な社会設計が必要です。
これから数年、イギリス政府の政策がどこまでこうした現実的課題に向き合い、抜本的な解決を図れるか。そこが、イギリスのEV普及の成否を分けるカギとなるでしょう。
コメント