イギリスにおけるタバコとアルコール

合法と死因の矛盾をめぐる社会・心理・文化的考察

「タバコは体に悪い」「お酒の飲み過ぎは命を縮める」——誰もが知る常識である。それでもイギリスの街角ではタバコやベイプが販売され、パブは人々で賑わう。喫煙や飲酒に関連する病気で毎年多くの人が命を落としているのに、なぜ依然として合法なのか。この矛盾をデータ、心理学、文化の観点から探ってみたい。


死亡の現実 ― 喫煙・飲酒・その他の死因との比較

  • 喫煙関連死亡
    イングランドでは年間およそ 7万5千人前後が「喫煙に起因する死亡」と推定されており、全死亡の約 15% に相当する。
  • 飲酒関連死亡
    2022年のイギリスでは、アルコールが主な原因で亡くなった人は 約9,500人。これは全死亡の約 1.4〜1.6% にあたる。さらに事故や暴力、肝疾患など「間接的にアルコールが関わる死亡」を含めれば数はもっと増える。
  • ガン全体
    英国では年間約 16万7千人がガンで亡くなり、全死因の約 25% を占める。喫煙は肺がんを中心にガン死亡の大きな要因である。
  • 心疾患など循環器疾患
    英国で依然として主要な死因。喫煙・飲酒の双方がリスクを押し上げる要因になっている。
  • 交通事故
    2023年の交通事故死亡者は 1,600人前後。社会的には注目されやすいが、喫煙や飲酒に関連する死亡と比べると桁違いに少ない。

なぜ禁止されないのか:制度と経済の構造

  1. 歴史的・文化的根付き
    タバコは兵士や労働者の「息抜き」として、アルコールはパブ文化の象徴として、何世紀にもわたって英国社会に浸透してきた。
  2. 税収と雇用
    タバコ税収は年間 100億ポンド超、アルコール税も 120億ポンド前後。国家財政を支える柱であり、産業全体としても雇用を生んでいる。
  3. 個人の自由と自己責任
    成人は「自己責任でリスクを負う」権利を持つ、という価値観が強い。全面禁止は「過度な国家介入」と見なされやすい。
  4. 禁止の副作用
    急な禁止はブラックマーケットを拡大させ、質の悪い密造タバコや違法酒が出回るリスクを高める。

やめられない心理学的メカニズム

  • 即時報酬 vs 遅延コスト
    一服や一杯で得られる快楽は即時的。一方、健康被害は将来に現れるため、人間はリスクを軽視しがち。
  • 依存性
    ニコチンもアルコールも依存性があり、脳の報酬系を刺激して「もっと欲しい」と思わせる。
  • 認知的不協和
    「悪いと分かっているのに続けてしまう」矛盾を、「祖父も吸って長生きした」などの正当化で解消しようとする。
  • 社会的同調
    パブや喫煙所といった場で、仲間と同じ行動をとることで所属感を得る。
  • コントロールの錯覚
    「自分は依存症にはならない」「やめようと思えばやめられる」と信じ込みやすい。

喫煙者・飲酒者が感じる「プラスの影響」

  • リラックス・ストレス軽減:タバコの一服やお酒の一杯で緊張が和らぐ感覚。
  • 集中・気分転換:タバコは頭の切り替えに、お酒は気分を変えるきっかけに。
  • 社交性の向上:喫煙所での会話や、パブでの乾杯は人間関係を深める。
  • 自己決定感:自分の意思で吸う・飲むという選択の自由を感じる。
  • 代替の利便性:ベイプや低アルコール飲料など「より扱いやすい」選択肢も広がっている。

これらの“メリット”は短期的な感覚にすぎないが、心理的には強力で、人々を習慣に縛りつける。


政策としての現実的アプローチ

  • 税率の引き上げによる価格コントロール
  • パッケージの統一・健康警告の強化
  • 公共の場での喫煙禁止や飲酒制限
  • 年齢制限の強化
  • ベイプやノンアルコール飲料など「害を減らす代替策」の普及

全面禁止ではなく「害の最小化」を目指すのが現状だ。


結論 ― 矛盾を抱えた社会の選択

数字を並べれば明らかだ。喫煙による死亡は交通事故の何十倍にも上り、飲酒も数千人規模で命を奪っている。それでもタバコやアルコールが合法のまま残されているのは、文化・経済・自由・心理的報酬が複雑に絡むからだ。

人々は「健康に悪い」と知りながらも、リラックスや社交といった短期的なメリットを重視し、政府は税収と自由の尊重の間で現実的な規制を選ぶ。この矛盾は、私たちの社会が「快楽とリスクのバランス」をどう捉えるのかを映し出している。

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