人はなぜ「会った瞬間に嫌う」のか──差別を生み出す心のメカニズム

人を見た瞬間に優劣や好き嫌いを判断してしまう人間の脳と、社会的分断や差別を象徴的に描いたイラスト

「人をあってすぐに嫌う人って、周りにいませんか?」

挨拶を交わしただけ、数分話しただけで「あの人は苦手」「なんか信用できない」と即座にレッテルを貼る人。理由を聞いても、「なんとなく」「雰囲気が合わないから」といった曖昧な答えが返ってくることが多い。実はこの「なんとなく嫌う」という行為こそが、差別の最小単位なのかもしれない。

人間の脳は、他者を素早く分類し、評価するようにできている。進化の過程で、敵か味方か、安全か危険かを瞬時に判断する必要があったからだ。その結果、私たちは出会った瞬間から無意識に相手を「自分より上か下か」「仲間か異物か」と測っている。このプロセス自体は、誰にでも備わっている。

しかし問題は、その初期判断を疑わず、更新しようとしない人たちの存在である。

「すぐ嫌う人」が作る見えない壁

人をすぐに嫌う人は、往々にして自分の判断を絶対視する。「直感が当たる」「人を見る目がある」と信じて疑わないため、相手を知ろうとする前に関係を断ち切る。その小さな排除の積み重ねが、集団の中で「こちら側」と「あちら側」を生み出す。

ここで重要なのは、こうした行為が必ずしも悪意から始まるわけではない点だ。本人は差別しているつもりがない。ただ「合わない人を避けている」だけだと感じている。しかし、その「合わない」という判断基準が、容姿、話し方、訛り、出身、価値観といった属性と結びついた瞬間、それは個人の好みを超え、差別へと変質する。

差別は、誰か一人の極端な思想から生まれるのではない。日常の中の軽い拒絶、無自覚な線引きによって、静かに、しかし確実に作り上げられていく。

同質な社会でも差別は消えない

この構造は、人種が同じでも変わらない。たとえばイギリスでは、白人が多数派であるにもかかわらず、白人同士の強い分断と対立が長年存在してきた。階級、教育歴、住んでいる地域、さらには話し方やアクセントだけで、相手の価値を判断する文化が根付いている。

「下品な話し方だ」「田舎者っぽい」「労働者階級っぽい」──こうした一言で、相手は無意識のうちに格付けされ、距離を置かれる。人種という分かりやすい違いがなければ、別の基準が必ず持ち出される。それほどまでに、人間は優劣を判断せずにはいられない生き物なのだ。

つまり、差別の原因を「特定の属性」だけに求めることは、本質から目を逸らす行為でもある。

差別は本能、だが放置すれば拡大する

人をすぐに嫌う心理は、人間の防衛本能に近い。だが、その本能を疑わず放置すれば、差別は簡単に正当化される。「自分が不快に感じたのだから仕方ない」「あの人が悪い」という論理は、排除を正義に変えてしまう。

差別がなくならない理由は、人間の脳に他者を比較し、優劣を判断する仕組みが組み込まれているからだ。しかし同時に、人間にはその判断を言語化し、反省し、修正する能力もある。

「なぜ自分はこの人を嫌だと感じたのか」
「それは相手の問題なのか、それとも自分の思い込みなのか」

この問いを持てるかどうかが、単なる本能と、社会的な差別を分ける分岐点になる。

差別をゼロにすることは難しいかもしれない。だが、差別を無自覚なまま再生産し続ける社会か、それとも自覚的にブレーキをかけようとする社会か。その違いは、「人をすぐ嫌う自分」を疑うところから始まるのではないだろうか。

Comments

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA