少子高齢化が進む日本において、「移民受け入れ」はもはや避けて通れないテーマになりつつある。しかし、この議論においてしばしば混同される点がある。それは「移民を受け入れること」と「移民の文化をそのまま受け入れること」は同義ではない、という点である。
国家が移民を受け入れるということは、労働力や人材を受け入れることであり、同時にその人々を自国の制度・価値観・法秩序の中に組み込む責任を負うということである。社会の持続可能性を守るためには、移民を“共に暮らす他者”ではなく、“同じ社会を担う成員”へと育てていく政策が不可欠だ。
イギリスの例に学ぶ同化のシステム
イギリスは長い移民受け入れの歴史を持つ国である。旧植民地からの移民を中心に、多様なバックグラウンドを持つ人々が社会を構成してきた。しかし同国が重視してきたのは、多文化の「並存」だけではない。英語教育、法制度の理解、市民権取得のためのテストなどを通じて、移民が国家のルールを理解し、共有する仕組みを整えてきた。
その結果、移民の二世・三世の中には、自らを「イギリス人だ」と自然に語る世代が育っている。肌の色や宗教が違っても、法の下で平等な国民としての自覚を持つ。この「国民意識の共有」こそが、長期的な社会統合の鍵である。
もちろん、イギリスに課題がないわけではない。格差や分断の問題は今なお存在する。しかし、それでもなお国家として「国民とは何か」という軸を明確に持ち続けてきた点は注目に値する。
日本が向き合うべき現実
日本も今後、労働力不足を補うために、実質的な移民受け入れを拡大せざるを得ない局面に入っている。しかし、日本社会には移民政策の明確な理念がまだ十分に示されていない。
単に労働力として招き、一定期間働いてもらい、帰国してもらう——。そうした発想のままでは、すでに日本で生まれ育つ子どもたちへの責任を果たすことはできない。
もし日本が本格的に移民を受け入れるのであれば、視野は50年後、100年後でなければならない。そのとき、日本語を話し、日本の歴史や制度を理解し、「自分は日本人だ」と胸を張って言える世代を育てられるかどうか。それが政策の成否を決める。
必要なのは「教育」と「共通のルール」
移民統合の核心は教育である。
- 日本語教育の徹底
- 日本の法制度・社会規範の理解
- 義務教育段階での徹底した統合教育
- 国籍取得制度の明確化
これらを体系的に整えなければならない。
同時に、日本社会側にも覚悟が必要だ。国籍や出自にかかわらず、共通のルールを守る人を「同じ国民」として受け入れるという原則である。排除でも、無制限の文化相対主義でもない。「法と制度を共有する仲間」として包摂する姿勢が求められる。
未来の日本を設計するということ
移民政策は、単なる労働政策ではない。それは国家の将来像を設計する行為である。
50年後、100年後、日本社会の中で多様なルーツを持つ人々が「自分は日本人だ」と自然に語れる社会。その姿を具体的に描き、逆算して制度を作らなければならない。
移民を受け入れるということは、文化を無条件に受け入れることではない。国家の基本秩序を守りながら、新たな成員を育てていく長期的な社会設計である。
感情論でも理想論でもなく、国家の持続性という観点から、冷静で戦略的な議論がいま求められている。










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