戦争は「対岸の火事」になったのか?

——人間は飽きっぽい動物なんだ、という話です。


■ ミサイルが飛んでる映像に、もう驚けない私たち

テレビをつける。
ニュースアプリを開く。

また中東。
また空爆。
また「緊張が高まっています」。

例えば、イスラエル と パレスチナ。
あるいは イラン と イラク。
さらに シリア。

正直に言おう。

「またか」と思ってしまったこと、ないだろうか。

爆発音。煙。逃げ惑う人々。
それを見ながら、私たちはコーヒーを飲み、スクロールを続ける。

怖いのは戦争じゃない。
怖いのは、それに慣れてしまった自分だ。


■ 9.11は“映画”ではなかった

アメリカ同時多発テロ事件。
いわゆる「9.11」。

あのとき世界は止まった。
飛行機がビルに突っ込む映像は、あまりに非現実的で、映画かと思った人も多いはずだ。

でも、あれは衝撃だった。
全員が息をのんだ。

なぜか?

「予想していなかった」からだ。

人間は、想定外には強烈に反応する。
でも、想定内には驚かない。

何度も何度も「緊張が高まっています」と聞けば、それはもう“定期ニュース”になる。

衝撃は一度きり。
二度目からは再放送だ。


■ 「中東は常に戦争している」という雑なラベル

いつからだろう。
「中東=ずっと戦争」というイメージが出来上がったのは。

まるで天気予報みたいに。

今日の中東は晴れのち空爆。

でもそれは、本当に現実なのか?
それとも、報道の“切り取り方”が固定観念を強化しているのか?

人間の脳は省エネ仕様だ。
複雑な歴史、宗教、民族問題なんて、いちいち理解していられない。

だからまとめる。

「いつも揉めてる地域」

雑。あまりにも雑。

でも脳は楽だ。
ラベルを貼れば、それ以上考えなくていい。


■ 世界は戦争に興味を失ったのか?

たぶん、少しはそうだ。

でも正確に言うなら、
「戦争そのもの」ではなく、「終わらない戦争」に興味を保てないのだ。

人間はストーリーが好きだ。

始まりがあって、
クライマックスがあって、
終わりがある。

でも、終わらない戦争は物語にならない。
ずっと第3章あたりをぐるぐるしている感じ。

飽きる。

残酷な話だが、人間は「続く悲劇」に耐えられない。
感情が持たないから、シャットダウンする。


■ SNS時代の“悲劇インフレ”

今は戦争だけじゃない。

地震。洪水。テロ。経済危機。パンデミック。

悲劇が同時多発的に流れてくる。

一つ一つに本気で心を痛めていたら、精神がもたない。

だから人間はどうするか。

慣れる。

これ、冷酷でもなんでもない。
むしろ自己防衛本能だ。

悲劇インフレの時代、
感情はバーゲンセールになった。


■ 対岸の火事にしているのは誰だ?

「戦争は遠い世界の話」

そう思えるのは、日本に住んでいるからかもしれない。
地理的にも、心理的にも距離がある。

でも、グローバル経済でつながっている今、
原油価格も、難民問題も、安全保障も、全部どこかでつながっている。

それでも実感が湧かないのは、

体験していないから。

人間は、体験しない限り本気になれない生き物だ。


■ 結論:人間は飽きっぽい。それだけの話かもしれない

ここまで書いてきて、身も蓋もない結論に行き着く。

人間は飽きっぽい。

新しいスマホ。
新しいドラマ。
新しい炎上。

そして、新しい戦争。

刺激が更新され続ける世界で、
“同じ構図の爆撃映像”は新鮮味を失う。

それは倫理の問題というより、
脳の構造の問題かもしれない。


■ でも、本当に飽きていいのか?

ここが一番やっかいだ。

慣れてしまうことと、無関心になることは違う。

私たちはたぶん、
「もう驚けない」だけで、
「どうでもいい」と思っているわけではない。

ただ、感情が追いつかないだけだ。

もし戦争が本当に対岸の火事になったとしたら、
それは地理のせいではなく、

想像力の摩耗かもしれない。


私は思う。

世界が戦争に慣れたのではない。
人間が“刺激”に慣れただけだ。

それは進化の副作用か、
文明の代償か。

いずれにせよ、
ミサイルが飛び交う映像を前にして

「またか」と思ってしまう私たちの脳は、

今日も効率よく、省エネで回っている。

皮肉なほど、うまく出来ている。

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