― 歴史の誤解をほどきながら考える ―
「○○を発見したのは誰か?」という問いは、世界史のなかでよく使われます。
しかし、イギリス(英国)について“発見した”と表現するのは正しくありません。
なぜなら、イギリスの島(ブリテン諸島)は古代から人々が住み続けており、外部の民族が“発見”したという歴史的事実は存在しないからです。
では、なぜこの疑問が生まれるのでしょうか?
ここでは「イギリスに最初に到達した外部勢力」や「歴史に登場した最古の記録」という観点から解説していきます。
■ そもそも「発見」という概念は当てはまらない
“発見”という言葉は、大航海時代のヨーロッパ人が他地域に初めて到達した文脈で使われることが多い言葉です。
ですが、ブリテン島は旧石器時代から人類が住んでいた地域であり、誰かが初めて見つけたという事実はありません。
■ 歴史記録に最初に登場する「ブリテン島」
イギリスについて最初に記録したのは、古代ギリシャの旅行家・地理学者たちです。
● 古代ギリシャ人の記録
紀元前4世紀、ギリシャの地理学者 ピュテアス が北方航海を行い、ブリテン島(彼は“プレタニケ”と記録)に到達したとされています。
これがイギリスに関する現存する最古級の外部記録とされます。
ただし、ピュテアス自身が島を“発見”したわけではなく、すでにケルト系諸民族が住んでいたことが分かっています。
■ ローマ人による「本格的な認知」
外部勢力としてイギリスを大規模に捉えたのはローマ帝国です。
● ユリウス・カエサル(紀元前55年・54年)
ローマの将軍 カエサル がブリテン島への遠征を行い、
これによりローマ世界にイギリスの存在が広く知られるようになりました。
ただし、これも“発見”ではなく、ローマの地中海文明が島を体系的に認識したという出来事です。
■ イギリスそのものは「古くから続く文明の地」
ブリテン島には、
- ケルト人
- ピクト人
- アングロ・サクソン人
- スコット人
…など多くの民族が文化を紡いできました。
「誰かに発見された土地」ではなく、独自の文明として発展してきた地域と理解するのが正しい歴史です。
■ まとめ
- イギリスを“発見した人物”という概念は歴史的に正しくない
- 最古の記録者としてはギリシャ人ピュテアスが有名
- ローマのカエサル遠征によって広く知られるようになった
- ブリテン島には太古から人々が住んでおり、発見の対象ではない










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