
はじめに
イギリス社会は多様性と国際性を掲げる一方で、依然として根強い人種的無理解や偏見が存在する。その一例として、日本人や韓国人、中国人といった異なる国籍・文化背景を持つアジア人を、一括して「Chinese(中国人)」と呼ぶ現象がある。この呼び方は単なる言い間違いではなく、アジア人に対する無知や無関心、さらには潜在的な差別意識の表れでもある。
本記事では、イギリスにおいてなぜこのような現象が起きるのかを、歴史的背景、社会的構造、教育、メディア、個人の体験談など多角的に分析する。また、その影響がアジア人当事者に与える心理的、社会的影響についても考察し、今後の課題と改善策を提示する。
1. 「中国人」にまとめられる現象の実態
1-1. 日常生活での例
ロンドン在住の日本人留学生Aさんは、スーパーで買い物をしていた際、年配の白人男性から「You’re Chinese, right?」と声をかけられた。「いいえ、日本人です」と訂正しても、相手は「Same thing(同じだろ)」と笑ったという。
このような体験は珍しくない。SNSやフォーラムにも、「何度説明しても ‘Chinese’ と呼ばれる」「日本語で話しているのに ‘speak Chinese’ と言われた」といった証言が数多く投稿されている。
1-2. 職場や教育現場でも
ビジネスの現場でも、上司や同僚がアジア人スタッフを「Chinese girl」や「our Chinese guy」と表現することがある。国籍が違うことを指摘しても、「まあ、アジア人って全部同じでしょ?」と軽く受け流されることが少なくない。
教育現場では、教師ですらアジア人留学生を「Chinese group」と呼ぶ例も報告されており、問題の根深さが伺える。
2. なぜ「全部中国人」と思われるのか?
この現象の背景には、単なる無知以上に、イギリス社会に根付くステレオタイプと、歴史的・社会的な要因がある。
2-1. アジアに対する西洋中心的視点
西洋社会では長年にわたり、アジアを「Far East(極東)」というひとくくりで表現し、文化的な多様性を無視してきた。イギリスも例外ではない。植民地時代から続く「他者化(Othering)」の視点が、現在でも潜在的に作用している。
アジア人の顔や言語、食文化を区別する感覚が希薄なまま、「アジア=中国」という等式が無意識のうちに根付いているのだ。
2-2. 中国系移民の歴史と人口比
イギリスにおいて最も早く、また広く定着したアジア系移民は中国系である。19世紀にはすでにリバプールやロンドンにチャイナタウンが形成されており、「アジア=中国人」というイメージが強まった。
実際、統計的にも中国系住民はアジア系移民の中で多数を占めており、イギリス人が「アジア人=中国人」と誤認しやすい土壌がある。
2-3. メディアの影響
イギリスの映画、テレビ、ニュースメディアでは、「アジア人キャラクター=中国系」の描写が圧倒的に多い。韓国や日本に関する報道は、K-POPやアニメのようなエンタメ系に限られることが多く、社会的・文化的な紹介は稀だ。
このようなメディアの偏向報道が、アジア人に対する一面的なイメージを助長している。
3. アジア人当事者に与える影響
3-1. アイデンティティの否定
自分の文化や国籍が無視され、「中国人」と決めつけられることは、アイデンティティの否定に他ならない。とくに海外で生活するアジア人にとって、自らの文化を説明し理解を求めることは大きな精神的労力を要する。
日本人であれ韓国人であれ、「中国人」と言われることに対する不快感は、「文化の違いが尊重されない」という根本的な問題と直結している。
3-2. ミクロアグレッション(微細な差別)
「全部中国人でしょ?」という言動は、悪意がないように見えても、当事者にとっては「ミクロアグレッション」と呼ばれる微細な差別である。これは蓄積されることで、精神的なストレスや自己評価の低下を引き起こす。
3-3. 感染症とヘイトの結びつき
COVID-19のパンデミック時には、アジア人全体が「ウイルスの元凶」として扱われ、差別や暴力の対象となった。このときも、「どこの国の人か」は無視され、すべて「Chinese virus」と結びつけられた。
4. アジア人自身の対応と葛藤
4-1. 説明するべきか、流すべきか
「違うよ、日本人だよ」と毎回説明するのは精神的にも疲れるが、訂正しなければ誤解は放置されたままとなる。このジレンマは、留学生や駐在員、移民たちの間でしばしば議論されるテーマである。
4-2. アイデンティティの再認識
皮肉なことに、他者からの無理解を通じて、自らの文化的ルーツを再認識し、大切に思うようになるアジア人も多い。差別的経験が、逆にアイデンティティの強化につながることもある。
5. 改善の可能性と課題
5-1. 教育の役割
初等・中等教育で、アジアの文化や歴史を多面的に教えることが必要である。現在のイギリスのカリキュラムでは、アジアの国々について深く学ぶ機会が極めて限られている。アジア人を「ひとまとめ」にせず、それぞれの違いを教えることが偏見をなくす第一歩だ。
5-2. メディアとエンタメの責任
BBCやChannel 4などの公共メディアは、アジア文化の多様性を伝える番組を増やすべきである。また、映画やドラマでのキャスティングでも、韓国人、日本人、ベトナム人などの違いを意識的に反映することが重要だ。
5-3. アジア人コミュニティの発信力強化
現地のアジア人コミュニティも、自らの文化やアイデンティティを積極的に発信することが求められる。SNSやYouTube、ローカルイベントを通じて「違い」を可視化することが、理解の促進につながる。
6. 結論:違いを知ることが尊重への第一歩
日本人、韓国人、中国人は、それぞれ異なる歴史、言語、文化、価値観を持つ民族である。それを一括して「中国人」と呼ぶことは、単なる誤解ではなく、多様性を無視する態度である。
イギリスが真の多文化共生社会を目指すのであれば、「アジア=中国人」という認識から脱却し、一人ひとりの背景やアイデンティティを尊重する姿勢を社会全体で育む必要がある。そのためには教育、メディア、個人の意識改革という三本柱で、粘り強い取り組みが求められる。
参考文献
- Hall, Stuart. Cultural Identity and Diaspora (1990)
- Said, Edward. Orientalism (1978)
- 英国政府統計局(ONS)「Ethnic group statistics」
- Runnymede Trust「Racism and Resistance: Experiences of East and Southeast Asian communities in the UK」(2021)
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