
イギリスのサッカー界には、ひとつの不文律がある。「勝てなければ、マネージャーが責任を取る」。これはプレミアリーグに限らず、下部リーグ、さらには草の根レベルのクラブにおいても広く見られる現象である。チームの成績が低迷すれば、まず最初に問われるのは選手ではなく、そのチームを指揮するマネージャーの手腕だ。
サッカーというスポーツにおいて、勝敗は多くの要因によって左右される。選手のパフォーマンス、怪我、運、不運、審判の判定、そしてチーム全体の士気。しかしイギリスのファン文化においては、これらすべてを統合し「責任を取る」存在としてマネージャーが位置づけられている。この文化は、合理性を超えた「期待」と「信念」の上に成り立っているとも言える。
マネージャーとは何者か――イギリス式の“現場監督”
イギリスにおけるサッカーマネージャーは、単なるコーチや戦術担当者ではない。その名の通り、マネジメントを担う人物である。チーム編成、補強交渉、選手育成、メディア対応、試合当日の戦術決定といった広範な責任を持ち、クラブの“顔”であり、“象徴”である。
プレミアリーグのクラブであれば、マネージャーはスポーツディレクターやアナリストチームと連携しながらも、最終的な意思決定を行う司令塔となる。中堅クラブや下位クラブでは、マネージャーがスカウトや育成、契約交渉まで一手に引き受ける場合も少なくない。そのため、チームの良し悪しがマネージャーの能力に直結すると見なされるのは、ある意味自然な帰結とも言える。
なぜマネージャーが最初に責任を取るのか?
サッカーは感情のスポーツである。イギリスにおけるサッカーの人気と熱狂ぶりは他国と比較しても極めて高く、毎週末、全国のスタジアムは数万人のファンで埋まり、テレビやSNS上でも絶えず議論が交わされている。この環境において、成績不振が続けば、クラブとして何らかの「変化」を示さなければならない。
選手全員を変えることは不可能に近い。契約期間や市場価値、移籍タイミングなどが関わるためだ。だが、マネージャーであれば1人を交代すれば済む。しかもその変化はメディア的にも効果があり、サポーターにも「リセット感」を与えることができる。これはいわば“スケープゴート”としての側面もあるが、それだけではない。
サポーターたちは、マネージャーに「チームのビジョン」を見ている。攻撃的か、守備的か、若手を重用するか、スター選手に依存するか――これらの哲学がピッチに現れるのは、マネージャーの思想が反映されるからである。そのため、勝てない上に内容が薄いとされれば、「指導力不足」「ビジョンの欠如」として厳しい批判にさらされる。
高報酬の裏にある不安定な職業人生
プレミアリーグのマネージャーは、世界でも最も高額な報酬を得ている職業の一つである。上位クラブのマネージャーともなれば、年俸は数億円から数十億円に及ぶ。たとえばマンチェスター・シティのペップ・グアルディオラは、2024年時点で約2,000万ポンド(約35億円)もの年俸を得ていると報じられている。
だがその一方で、雇用の安定性は極めて低い。2022-23シーズンには、プレミアリーグで13人ものマネージャーがシーズン中に解任された。これは20クラブ中の65%にあたる。多くの場合、解任の理由は明確な成績不振であるが、内部の不和やサポーターの不満、戦術の失敗などが複合的に影響する。
こうしたリスクを踏まえて、マネージャー契約には高額な違約金が設定されることが一般的だ。解任された場合でも、残り契約年数分の報酬が支払われることが多く、短期間での巨額の退職金を得るケースもある。そのため、ファンの間では「クビになっても儲かる職業」と皮肉られることもあるが、これは表面的な理解に過ぎない。
マネージャーたちは、結果を出せなければすぐにレッテルを貼られ、再就職のチャンスすら失う可能性がある。特に下部リーグでは報酬も安く、クラブの財政状態も不安定であるため、リスクに見合ったリターンがあるとは限らない。
ファンの視線はどこにあるのか
イギリスのサッカーファンは、非常に目が肥えている。彼らは単に勝敗だけでなく、試合の内容や選手の態度、戦術の変化までを逐一観察し、SNSやフォーラムで積極的に意見を発信する。これは日本のファン文化とは異なり、「黙って見守る」というよりも「積極的に関与する」姿勢が強い。
したがって、マネージャーが信頼を得るためには、単に勝つだけでなく、「クラブの魂」を体現する必要がある。これは言葉ではなく、選手起用、戦術選択、メディア対応など、あらゆる振る舞いに表れる。そしてそれが評価されれば、多少の不振があってもファンは粘り強く支える。
例えば、リヴァプールのユルゲン・クロップは2015年の就任から数シーズンは大きなタイトルに恵まれなかったが、攻撃的で情熱的なサッカー、若手育成、ファンとの密な関係により高い支持を受け続けた。結果として2019年にはCL、2020年にはリーグ優勝という成果をもたらした。
一方で、成績が悪化した時にクラブの方向性が見えなければ、ファンは即座に批判に回る。戦術の曖昧さ、選手起用の不信、記者会見での弱気なコメントなど、いずれもマネージャーの評価を左右する要素となる。
データとAI時代のマネージャー評価
近年、イギリスサッカー界ではデータ分析やAIを用いた戦術評価が浸透している。Expected Goals(xG)やパスネットワーク、ポジショナルプレイのマッピングといった技術が導入され、マネージャーの判断や戦術の効果が数値的に分析されるようになった。
これにより、短期的な結果だけでなく、「どれだけ論理的な戦い方をしているか」が問われるようになってきている。中堅クラブや育成重視のチームにとっては、こうした分析は重要な武器となりうる。戦力が限られている中で、いかに効率的に勝利を目指すか。その戦術眼が高く評価されるマネージャーも登場してきている。
例えば、ブライトンのロベルト・デ・ゼルビは、データを活用したポゼッション重視の戦術で注目を浴び、クラブの限られた資源で好成績を残した。また、ブレントフォードのトーマス・フランクも、アナリティクスに基づいた補強と戦術で安定した成績を保っている。
結論――それでもマネージャーは夢の職業か
イギリスのサッカー界において、マネージャーという職業は極めて過酷でありながら、依然として多くの指導者が目指す「夢の舞台」である。それは単に報酬や名声のためではなく、自らの哲学をピッチに投影し、数万人の心を動かす力を持っているからだ。
「勝てなければクビ」という厳しい現実の裏には、ファンの熱量と期待、そしてクラブの未来を託される責任がある。イギリスのマネージャーたちは、その覚悟を持って、常に重圧と向き合っている。
最前線の指揮官として、戦術家として、そしてときには心理学者として――マネージャーの存在は、イギリスサッカーにおいて欠かせない主役なのだ。
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