
はじめに:安全神話に揺らぎ
イギリスは、欧米諸国の中でも特に厳格な銃規制を敷くことで知られています。1996年のダンブレイン小学校乱射事件を契機に、ハンドガンの個人所有が全面的に禁止され、それ以降、銃犯罪の発生件数は相対的に低い水準に抑えられてきました。
しかし、近年ではその「銃規制の成功モデル」に陰りが見え始めています。背景には、技術革新や国際的な闇市場の拡大、若年層のギャング化といった複合的な要因が絡み、かつては想定されていなかった新たな銃器の使用法が台頭しているのです。
特に、模造銃の犯罪利用や**3Dプリンターで作られた「ゴーストガン」**と呼ばれる自家製銃器の増加は、既存の法制度をかいくぐる新たな脅威として、法執行機関を悩ませています。
銃犯罪の最新統計と傾向:一見減少、だが油断できない
イングランドおよびウェールズにおいて、2024年12月までの1年間に報告された銃器関連犯罪件数は5,252件で、前年の6,563件から約20%減少しました。これは一見すると好ましい傾向のように見えますが、その実態はより複雑です。
この減少は主に、「模造銃」(BBガン、エアガン、レプリカ銃など)の使用件数が32%減少したことに起因しています。一方で、本物の実弾銃や、機能的に実銃と同等の威力を持つ改造銃の押収・摘発件数は横ばい、または微増しています。
特にロンドンでは、銃犯罪の発生率が全国平均の約2倍のスピードで増加しており、これは都市部のギャング文化や若年層の関与率の高さと関係しています。
模造銃の変貌と犯罪利用:合法から違法へと変化する瞬間
模造銃は、本来なら合法的な玩具やコレクターズアイテムとして販売されているものですが、少しの技術と部品で実弾を発射可能な武器へと変化させることが可能です。特に人気のあるのは、トルコ製の**「ブランクファイア銃」**です。
これらはRetay、Ekol、Ceonicなどのブランドで製造されており、外見・構造ともに実銃に酷似しています。正規の販売ルートでは空砲のみ発射可能とされていますが、銃口のバリアを削る・内部のバレルを交換するといった方法で、実弾の発射が可能になるのです。
警察当局によると、模造銃を改造した武器が押収されるケースが近年で倍増しており、一部では実際に殺傷能力を持った犯罪にも使用されています。
3Dプリント銃「ゴーストガン」の台頭:規制の網をすり抜ける影
もう一つ深刻化しているのが、3Dプリンターで製造された銃器の問題です。これらは「ゴーストガン(Ghost Guns)」とも呼ばれ、登録番号が存在せず、追跡不可能であることから、法執行機関にとって非常に厄介な存在です。
一見するとプラスチック製の玩具のように見えますが、重要部品のみを金属で補強することで、複数回の発砲に耐えうる仕様に変えることが可能です。インターネット上では、銃器設計のCADデータが違法に流通しており、知識さえあれば自宅での銃製造が現実的になりつつあります。
警察は2023年以降、ロンドンを中心に少なくとも40件以上のゴーストガン関連事件を摘発していますが、これは氷山の一角とみなされています。
ギャング文化と若者:銃器拡散の温床
銃犯罪の多くは、都市部のギャング間抗争や報復事件に関連して発生しています。バーミンガム、マンチェスター、リヴァプールなどでは、若年層がギャングに取り込まれ、模造銃や3Dプリント銃を使用して暴力事件に関与するケースが急増しています。
近年は特に、音楽(UKドリルなど)やSNSを通じて、銃や暴力を誇示する文化が若者の間で拡散されており、これは銃の保有や使用に対する心理的ハードルを大きく下げています。
学校や地域社会では、10代前半の子どもたちがギャングによる「リクルート」の対象になる事例が報告されており、銃を使った威嚇や報復が日常化しつつある地域も存在します。
法執行機関の対応:警察はどう戦っているのか?
イギリスの法執行機関は、伝統的に銃器未所持の警察制度を維持していますが、増加する銃犯罪に対し、近年は武装警官や特殊部隊の投入も増えています。
代表的な取り組みとしては、ロンドン警視庁の「オペレーション・トライデント」が挙げられます。これは銃犯罪およびギャング犯罪に特化した部隊で、2000年から現在に至るまで、銃器の押収や犯罪ネットワークの解体に貢献しています。
また、全国的な「銃器回収キャンペーン(Gun Surrender Scheme)」も実施されており、市民に対して無条件で銃器を警察に返納させる取り組みが行われています。
しかし、模造銃やゴーストガンといった新しいタイプの武器には、従来の取り締まり手法が通用しにくく、現場では「規制のイタチごっこ」が続いているのが現状です。
今後求められる対策と展望
イギリスが今後、銃犯罪に対して持続可能な抑止策を講じるためには、以下のような多面的な戦略が求められます。
1. 模造銃・3D銃への法的規制強化
模造銃の輸入・販売・所持に対する法整備の見直し、ならびに3Dプリント技術を用いた銃器の設計・製造に対する刑事罰の導入。
2. デジタル監視と国際協力の強化
銃器部品や設計データのネット上での流通に対する、国際的な情報共有とサイバー監視体制の確立。
3. 若年層教育と地域支援
暴力を美化するSNSや音楽文化へのカウンターとなる啓発活動や、ギャングからの脱却を支援する地域プログラムの拡充。
4. 科学捜査の革新
3Dプリント銃やゴーストガンの鑑定技術、弾道分析、使用痕の解析に特化した新しい法科学手法の導入。
終わりに:銃規制だけでは守れない時代へ
かつてイギリスの銃規制は、世界的な模範とされてきました。しかし、テクノロジーの進化とグローバルな犯罪ネットワークの複雑化により、かつての常識はもはや通用しません。
今、イギリス社会が直面しているのは、銃を持たない国だからこそ油断していた「見えない銃」の時代です。新しい時代に即した法制度、教育、技術、国際協力の総動員によって、ようやく再び安全を取り戻す道が見えてくるのかもしれません。
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