
「日本人は英語が苦手」――このフレーズは、多くの日本人にとって自明の事実として受け入れられている。旅行先でのコミュニケーション、ビジネスの国際会議、外国人観光客への対応など、英語が話せたらどれほど便利か、という場面に直面したことのある人は少なくないだろう。しかし、義務教育として約10年間も英語を学び、学校では毎週のように授業があるにも関わらず、日本人の多くが自信を持って英語を話せないのはなぜだろうか?
この記事では、「なぜ日本人は英語が上手くならないのか?」という疑問を、多角的に掘り下げていく。教育制度、文化、言語構造、心理的障壁、社会環境――これらの要素が複雑に絡み合い、日本人の英語力に大きな影響を及ぼしているのだ。
1. 英語教育の構造的な問題点
1-1. 受験英語の呪縛
日本の英語教育は長らく「受験のための英語」に偏重してきた。高校・大学受験では、リスニングやスピーキングよりもリーディングと文法に重きが置かれ、「正確に訳す」「文法問題を解く」能力ばかりが重視されてきた。この結果、実際の会話ではほとんど役に立たない「試験英語」が主流となってしまった。
たとえば、「He is tall.」という簡単な文を「彼は背が高いです」と訳すことはできても、「How tall are you?」と聞かれて答えることに戸惑う学生は多い。知識として文法や単語は覚えていても、それを運用する訓練が圧倒的に不足しているのだ。
1-2. 教師の英語力と教授法の限界
日本の中学校・高校の英語教師の多くは、日本人であり、英語を第二言語として学んだ人たちである。そのため、発音がネイティブとは大きく異なる場合も多く、実際の会話のスピードや表現を教えることが難しい。
また、ALT(外国語指導助手)が配置されている学校もあるが、実際には文法の補助にとどまっており、「会話力向上」に十分な時間が割かれていないのが現実だ。
2. 言語的・構造的なハードル
2-1. 日本語と英語の言語的距離
英語と日本語は、言語学的に非常に距離が遠い言語である。語順(SVOとSOV)、時制の表現、冠詞の有無、名詞の複数形、発音体系(特に子音の連続やr/lの区別)など、根本的に異なる要素が多い。
たとえば、英語の「th」や「r」「l」の音は日本語に存在しないため、発音の習得に時間がかかる。また、冠詞の使い分け(aとthe)なども日本語話者には直感的に理解しにくい。こうした構造的な違いが、日本人が英語を習得する上での大きな障壁となっている。
2-2. カタカナ英語の影響
「コンビニ」「スマホ」「サラリーマン」など、日本語には数多くの英語由来の外来語(カタカナ語)が存在する。しかし、これらのカタカナ英語は、英語本来の意味や発音と大きく異なる場合が多い。
たとえば、「マンション」は日本語では集合住宅を指すが、英語の”mansion”は「豪邸」の意味になる。このように、誤った認識が形成されることで、本物の英語理解の妨げとなってしまっている。
3. 文化的・心理的要因
3-1. 「間違えることは恥」という文化
日本社会には「失敗を恥じる」文化が根強い。完璧主義的な教育風土の中で育った日本人は、「間違った英語を話すくらいなら黙っていた方がマシ」と感じてしまうことが多い。
英語圏では「とりあえず話してみる」ことが評価されるのに対し、日本では「正確に話す」ことが重視される。この価値観の違いが、英語を話すことへの心理的ハードルを高めている。
3-2. 内向的な国民性と英語の表現力
日本語は、文脈や空気を読む「ハイコンテクスト文化」に基づいている。言葉にしなくても相手が察してくれるという期待があるため、表現力や主張力は必ずしも重視されない。
一方、英語は「ローコンテクスト文化」に属し、明確な意思表示や自己主張が求められる。このギャップが、日本人にとって英語でのコミュニケーションを難しくしている。
4. 社会・環境的背景
4-1. 英語がなくても生活できる国
日本は、世界でも数少ない「英語がまったく話せなくても生活に支障がない国」の一つである。交通、行政、メディア、教育など、すべてが日本語で完結するため、「英語を使わなければならない」という切迫感が希薄なのだ。
一方、シンガポールやインド、北欧諸国などでは、英語が事実上の共通語となっており、英語力が社会的・経済的に必須となっている。日本にはそのような必要性が薄く、モチベーションが生まれにくい。
4-2. 英語使用の機会の少なさ
日本国内で、日常的に英語を使う環境は非常に限られている。外国人観光客の増加やオンラインの発展により、以前よりは使用機会が増えたが、依然として「英語を話す相手がいない」という声は多い。
英語力を高めるには、「使う→間違える→修正する」というサイクルが不可欠だが、そもそもこの機会が不足しているため、実践的なスキルが身に付かないのである。
5. 改善のためには何が必要か?
5-1. 教育のシフト:文法から運用へ
これからの英語教育には、「文法知識の暗記」から「実践的な言語運用能力の育成」への大きな転換が求められる。英会話、プレゼン、ディスカッションといった「英語を使う場面」をカリキュラムに積極的に取り入れる必要がある。
近年では「英語4技能(読む・書く・聞く・話す)」の重要性が認識され始めているが、評価制度や教師側の体制が追いついていないのが現状だ。
5-2. 自律的な学習とアウトプットの場
英語習得の鍵は、受け身の授業ではなく、自発的な学習とアウトプットにある。SNS、YouTube、ポッドキャスト、オンライン英会話など、現代には多様な英語学習ツールがある。これらを活用し、日常的に英語に触れる「習慣化」が何よりも重要だ。
また、外国人との交流イベントや留学、ワーキングホリデーなど、「英語を使わざるを得ない環境」に身を置くことが、英語力の向上に直結する。
まとめ:苦手意識を越えて
日本人が英語を「苦手」と感じるのには、確かに多くの理由がある。しかし、それは決して「能力がない」わけではない。むしろ、制度、文化、環境といった「外的な障壁」が大きく影響しているのだ。
これらの課題を一つひとつ見直し、教育・文化・社会のレベルで英語との関わり方を再構築することで、日本人の英語力は確実に向上する余地がある。必要なのは、「英語が話せない日本人」というステレオタイプを、自ら破ろうとする意識の変化と、一歩踏み出す勇気だ。
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