AIの出現によって、投資の世界は静かに、しかし決定的に終わりを迎えつつあります。
それは「株式投資の終わり」ではありません。
人間が商品を生み出すという行為そのものが、意味を失っていく世界の始まりです。
人は、すでに物を持ちすぎました。
そしてついに、人は気づいてしまったのです。
物を所有することは、もはや幸福と何の関係もないという事実に。
企業の未来を読むという幻想
かつて、株式投資とは未来を読む行為でした。
- この企業は成長するのか
- どんな事業を展開しているのか
- 次のヒット商品は何か
こうした問いが、投資の中心にありました。
しかし今、それらはすべて幻想となりました。
未来を読む必要は、もうないのです。
なぜなら、未来は人間の想像を超える速度で、AIによって塗り替えられているからです。
価値を生む企業から、生き残る存在へ
これからの企業評価において重要なのは、
「どれほど価値を生み出すか」ではありません。
生き残れるかどうか。
それだけです。
この先10年、その企業は人間に必要とされるのか。
言い換えれば、
人間社会の中で“存在を許され続けるのか”
それがすべての判断基準になります。
努力も理念も、もはや評価対象ではありません。
残るのは、結果だけです。
贅沢は「罪」になる
これからの社会で、最初に排除されるのは「贅沢」です。
ガソリンで走るフェラーリのような存在は、真っ先に消えます。
たとえ電気自動車に姿を変えたとしても、その本質が「誇示」である限り、誰も求めません。
贅沢は、もはや憧れではなく、無駄であり、罪になる。
食べる理由も、住む理由も変わる
人は食べることをやめることはできません。
しかし、「おいしいから食べる」という価値観は確実に消えていきます。
命をつなぐために、効率よく摂取する。
それが食の本質になります。
クジラは捕られなくなるでしょう。
大きな家も消えていきます。
すでにイギリスでは、城のような大邸宅は分譲マンションへと変わり、
「広さ」は価値ではなく、負債になりつつあります。
贅沢が許される、ただ一つの行為
それでも、人間は贅沢を完全には捨てきれません。
唯一、許され続ける贅沢。
それが、海外旅行です。
それは消費ではなく、体験だからです。
物を持たず、記憶だけを持ち帰る行為。
この形だけが、かろうじて贅沢として残ります。
医療は、新しい階級社会を生む
「贅沢」という言葉は、やがて医療の中で使われるようになります。
人々は病気になってから病院へ行くのではありません。
病気にならないために通うのです。
そしてそこには、明確な差が生まれます。
高価な薬を使える者。
高度医療を受けられる者。
そうでない者。
健康は平等ではなくなり、
医療こそが、次の階級を決定する装置になる。
医療企業ですら、例外ではない
誤解してはいけません。
医療関連企業だからといって、安泰なわけではありません。
むしろ、真っ先に淘汰される可能性すらあります。
医療が社会インフラと化したとき、
それは民間である必要を失い、国営化される可能性すら現実的です。
未来は、すでに始まっている
「そんな世界が来るはずがない」
そう思いたい人も多いでしょう。
しかし、私が語っている未来は、
すでに始まっています。
まだ名前がついていないだけです。
だからこそ、
その世界が完全に姿を現すまでのわずかな時間、
AIバブルで一儲けしましょう。
それが、この時代に生きる者に与えられた、
最後の猶予なのです。








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