親の遺産で生き延びる——静かなる英国の“堕落”生活

朝からパブ、夜は出来合いの食事。そして翌日もまた同じループ…

ロンドンの片隅、またはイングランド北部のさびれた町で、一部のイギリス人が営む静かなる“没落生活”。それは表向きには分かりづらく、観光ガイドにも決して載ることのない、イギリスの裏側の物語です。

この話を聞いて、あなたはこう思うかもしれません。

「イギリスって福祉国家でしょ?そんな人たちが生きていけるの?」

それが、生きているのです。しかも10年、20年と続いているケースも少なくありません。

本記事では、「親の残した遺産を食いつぶしながら、朝からパブに通い続けるイギリス人たち」の生活実態を、社会的背景や文化的側面を含めて、掘り下げていきます。


遺産と“労働しない自由”

“インヘリタンス・ボーイズ”という俗称

イギリスでは俗に「Inheritance boys(遺産で食いつなぐ男たち)」と呼ばれる人々がいます。彼らは裕福とは言えないが、両親または祖父母から中程度の遺産を受け取った人たちです。

額にするとおよそ10万~30万ポンド(日本円で約2000万〜6000万円)程度。ロンドンの高級住宅街ではとても生きられませんが、北部のリーズやシェフィールド、またはウェールズやスコットランドの田舎町であれば、それで10年以上生き延びることも不可能ではありません。

彼らの多くは、特に職業的スキルを持たず、社会的な責任感にも乏しい。遺産を「人生を再出発するための手段」としてではなく、「自分を何年か自由にしてくれる預金」として捉えているのです。


“午前10時から開くパブ”という社交空間

パブは彼らの“会社”であり“家庭”でもある

イギリスのパブの多くは、午前11時から開店しますが、一部のローカルパブは午前10時から開けるところもあります。そして驚くべきことに、開店と同時に現れる“常連客”がいるのです。

平日の朝から、1パイントのエールを手にテレビをぼんやり眺める中年男性たち。彼らの多くが、冒頭で述べた「遺産生活者」です。

彼らは特に話すわけでもなく、パブの片隅に座って静かにビールを飲み、必要な時だけ店員と会話する。話題は地元のフットボール、天気、政治に対するぼやきなど。ほとんどの人は、日中の6時間以上をパブで過ごします。

まるでそれが彼らの“オフィス”のようであり、他の常連たちは“同僚”なのです。


出来合いの食事とテレビの前で寝落ち

労働もせず、趣味もなく、ただ生きる

午後4時を過ぎる頃、彼らはパブを後にして家へ帰ります。とはいえ、買い物をして夕食を作るという生活力がある人は少なく、大半がスーパーで売っている「出来合い」のミールをレンジで温めて済ませます。

定番は、レディミールの「シェパーズパイ」「カレー」「チキンティッカマサラ」など。栄養価よりも手軽さと安さを優先し、料理という文化からは遠ざかっているのが特徴です。

夕食後はテレビをつけっぱなしにして、ソファに寝そべる。そのまま寝落ちするか、ベッドに移動して就寝。起きるとまたパブへ。

これが、彼らの“ルーティン”です。


なぜ働かない?——働かないことへの罪悪感がない社会

イギリス社会が生み出す「静かな放棄」

日本では「働かざる者食うべからず」という文化がありますが、イギリスでは少し様相が異なります。

確かに真面目な労働者階級も多くいますが、一方で「無理に働かなくても、なんとかなるならそれでいい」という価値観を持つ層も一定数います。

特に、親世代が中産階級だった場合、その遺産がある程度残ってしまう。これは、ある意味で“中途半端な富”です。ビジネスを始めるほどの資産はないが、慎ましく生きれば10年くらいは食いつなげる。

この中途半端な安心感が、彼らの労働意欲を奪ってしまうのです。


国家は何をしているのか?

福祉制度の限界と、貧困の“見えづらさ”

イギリスには「ユニバーサルクレジット」という低所得者向けの手当制度がありますが、遺産があるうちはこれを受け取ることはできません。

つまり、彼らは「福祉にも頼れず、労働もせず、ただ遺産を切り崩す」という状態に陥っています。政府にとっても“見えづらい貧困層”です。

しかも彼らの多くは、心身に問題を抱えていたり、過去に離婚や家庭崩壊を経験していたりするため、労働市場に戻ることが非常に難しい。


この生活は幸せなのか?

“選ばれた怠惰”と“無力の上の諦め”

彼らの生活は、一見すると“自由”に見えるかもしれません。毎日好きな時間に起き、酒を飲み、テレビを見て寝る。誰からも文句を言われない。

しかし、それは本当に幸せなのでしょうか?

実際、多くの“遺産生活者”はうつ病を抱えていたり、アルコール依存に陥っていたりします。誰とも深く関わらず、未来への希望もなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような日々。

「気がついたら10年経っていた」「貯金が残り少ないが、働く気力もない」といった声もよく聞かれます。

これは、意志ある“選択”ではなく、“無力の上の諦め”なのかもしれません。


結びに代えて:社会はどこまで個人の堕落に関与すべきか?

この記事で取り上げたような生活を送る人々は、イギリスの社会に確かに存在します。しかしそれは、彼らが“悪”だからでも、“だらしない”からでもない。社会構造、文化的背景、そして運命的な事情が重なって、そうなってしまったのです。

私たちは彼らのような人々を“怠け者”と切って捨てることもできます。しかし同時に、その背後にある「孤独」「失望」「無関心」にも目を向けるべきではないでしょうか。

もしかすると、これはイギリスだけの問題ではなく、先進国共通の“静かな貧困”のひとつの顔なのかもしれません。

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