紳士的カオス──イギリス企業という名の「優雅な混沌」

イギリスのオフィスで社員たちが紅茶を片手に世間話をしている中、1人だけ困惑した顔でパソコンに向かう男性。壁のホワイトボードには“PROBLEM”と書かれている風刺的イラスト。

朝、9時。
ロンドン郊外のオフィスに紅茶の香りが立ち込める。
カップを持ったまま、オフィスの入り口で誰かが言う。「Morning!」
続いて別の誰かが、「Lovely weather, isn’t it?(いい天気だね)」と返す。
窓の外はどんより曇り、今にも雨が降りそうだ。それでも彼らは、どんな天気も“Lovely”で済ませる才能を持っている。
イギリスの会社とは、そんな「世界一挨拶が丁寧で、世界一危機管理が苦手な場所」である。


■ 問題が起きるまでは問題ではない──「予防」という概念の不在

イギリス人に「何か問題が起きたらどうする?」と聞くと、大抵こう返ってくる。
「Well, we’ll cross that bridge when we come to it.(橋に来たら渡るさ)」
つまり、「起きてから考える」。
起きる前に考えるのは、どうやら“過剰反応”らしい。

日本の企業では、会議の議題が「リスク管理」だと、未来のリスクを全員で洗い出し、表計算ソフトに色分けしてリスト化し、上司が「抜け漏れはないか?」と眉をひそめる。
イギリスの会議では、その時間、誰かがミルクティーの濃さについて議論している
「やっぱりミルクは先に入れるべきだと思うのよね」
「いや、紅茶を先に入れないと味が薄くなるんだよ」
──その議論が30分続く。
そして最終的に、肝心のリスク管理の話は「また次回に持ち越し」となる。
“次回”とは、大抵、何か問題が実際に起きた後のことだ。

実際、問題が起きるとイギリス人は慌てる。
だがその慌て方にも、どこか優雅さがある。
「Oh dear… That’s unfortunate.(おやまあ、残念だ)」
火を噴くサーバーを前にしても、声のトーンは紅茶をこぼしたときと同じだ。
冷静なのではない。ただ感情の起伏を見せるのが“非紳士的”なだけだ。


■ 朝の儀式──挨拶と世間話という宗教行為

イギリスのオフィスでは、朝の挨拶が一日の業務の半分を占める
日本で言う「おはようございます」は1回で済むが、イギリスでは少なくとも7回は繰り返される。
「Morning!」
「Morning!」
「How are you?」
「Not too bad, you?」
「Yeah, can’t complain.」
(※誰も本当に調子を聞いているわけではない)

このやり取りをしないと、仕事が始まらない。
無言でデスクに向かうと、「あいつ何か機嫌悪いのか?」と心配される。
イギリスでは挨拶をしない=社会的に危険人物という認識なのだ。

さらに彼らの挨拶には必ず「天気」が絡む。
「雨が降りそうだね」「いや、降らなかったら奇跡だよ」「ほんとに、夏なのに!」──
この会話、365日同じテンションで繰り返される。
もし晴れた日があれば、それはもはや国家的ニュースレベルの出来事
「今日は太陽が出たぞ!」と叫び、皆が外に出てスマホで空を撮る。
イギリスにおける“天気の話”は、もはや小トークではなく“生存確認”である。


■ 無限に続く「家族は元気?」と「週末どうだった?」

朝の挨拶ラウンドが終わると、次は「家族と週末の話」が始まる。
これは、イギリス版・社交の義務教育である。
「How’s your family?(家族は元気?)」と聞かれたら、答えは決まっている。
「All good, thanks.(みんな元気だよ)」
──例え実際は全員風邪で寝込んでいても、そう答えるのがマナーだ。

なぜなら、この質問は心からの興味ではなく、会話の潤滑油だから。
彼らは会話を続けることに全力を注ぐ。内容はどうでもいい。
だから「週末何してた?」の話も、ほとんどテンプレートだ。
「友達とパブに行って」「家でNetflix観て」「子どもをサッカーに連れて行って」──
この繰り返し。
聞いている側も、「Oh nice!」「Sounds lovely!」と、同じ反応を300日連続で続ける
こうして1日の半分は「世間話」で溶けていく。


■ 仕事は午後に始まり、終わるのは定時5分前

世間話がひと段落するのは、だいたい昼前。
そのころになると、誰かが言い出す。「Fancy a tea?(お茶しない?)」
そして再び、ケトルが鳴る。
イギリスでは「お茶の時間」が絶対的な権利であり、仕事の合間ではなく、仕事の一部だ。
紅茶をいれ、クッキー(彼らは“ビスケット”と呼ぶ)をつまみながら、
「ミーティングがあるけど、とりあえず紅茶を飲んでからにしよう」
──という流れが自然に発生する。

実際の仕事は午後にようやく始まる。
とはいえ、17時にはほとんどの社員が帰る準備をしている。
上司も含めて。
「家族との時間を大事にする文化」と聞こえはいいが、要するに“仕事を家に持ち帰らない”という宗教的信条だ。
メールを送っても翌朝まで返ってこない。
「緊急」と書いても無視される。
なぜなら、“緊急”という言葉が彼らの辞書には存在しないからだ。


■ ホリデー信仰──長期休暇は神聖不可侵

イギリス企業を語る上で欠かせないのが、「ホリデー文化」だ。
彼らにとって、ホリデーは休暇ではなく“権利”であり“義務”
7月になるとオフィスの話題はほぼそれ一色になる。
「今年はどこ行くの?」
「ギリシャだよ。日焼けしすぎないようにしないとね」
「僕はコーンウォールで過ごすつもりだ」
──この会話が9月まで続く。
そして10月になると、「来年のホリデーどこ行く?」が始まる。

問題は、ホリデー中は完全に連絡不能になることだ。
「仕事のメールは見ないの?」と聞くと、彼らは不思議そうに笑う。
「もちろん見ないよ。休暇中だもの」
──そう言って、本当に見ない。
日本のように「一応、携帯は持っていく」といった中間策は存在しない。
仕事と休暇は、紅茶とウイスキーくらい混ざらない。


■ 会議という名の雑談会──議事録よりビスケットが大事

イギリスの会議は、たいてい「話し合いのための話し合い」で終わる。
議題を決める前に、まず全員で「How’s everyone doing?」と近況を共有。
そこから「天気→ホリデー→家族→犬→最近のテレビ番組」と話題が脱線し、
肝心のテーマに戻る頃には、もう終了時刻が近い

議事録は取るが、読む人はいない。
誰も責任を明確にしたがらないので、結論はだいたい「Let’s keep in touch.(また連絡取り合おう)」で終わる。
つまり、次回の会議を開く口実を作るための会議である。
そして次回、また同じ話をする。
それでも、誰も怒らない。
「議論が終わらないこと」こそが、彼らにとっての安定なのだ。


■ 日本人が学べる(かもしれない)こと

こうして見ると、「イギリス企業=非効率の塊」と言いたくなる。
だが彼らの“だらしない優雅さ”には、不思議な居心地の良さがある。
誰もピリピリしていない。
ミスをしても怒鳴られない。
「まあ仕方ないさ」で済む。
責任は全員で分け合い、ティーバッグのようにお湯に浸して薄めていく。

もし日本の企業にこの空気が少しでも混ざれば、
月曜朝の“空気の重さ”は、もう少し軽くなるのかもしれない。
完璧を求めず、紅茶を一杯いれて、
「まあ、なんとかなるさ」と笑う勇気。
それがイギリス流の“仕事哲学”だ。

問題が起きてから動く。
挨拶に時間をかける。
会議は雑談で終わる。
ホリデーは神聖不可侵。
──それでも彼らの会社は今日も動いている。
奇跡的に。
いや、もしかしたらそれこそが、イギリス的効率の極致なのかもしれない。
問題を解決する前にまず紅茶を淹れる。
人生、まずは一服。それがこの国の、働くという芸術である。

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