週末は親子で仲良くサッカー観戦──マルコルム・チャレンダーさん(48)と息子イワン・チャレンダー(19歳)に実際に起こった話です。場所はイギリスのレディングという町。マルコルムさんとイワンくんはとても仲のいい親子で、父の応援するサッカーチーム「ニューキャッスル」の試合をパブで見るのが2人の楽しみでした。
不幸は突然訪れる
2019年4月12日金曜日、その日もいつもどおり数人の友達を引き連れパブでサッカー観戦のはずでした。試合が終わったあともパブでしばし談笑する──これもいつもの恒例の儀式。皆が談笑しているあいだ、マルコルムさんは息子のイワンくんを少しからかっていました。見慣れたいつもの風景でした。
いつもより飲んだビールのせいか、マルコルムさんはいつも以上にしつこくイワンくんをからかい続けました。気分を害したイワンくんは「帰る」と言い出します。マルコルムさんは少しやりすぎたと自覚したのか、イワンくんと一緒に帰ることに。他の仲間たちもこれを機にその夜は撤収しました。
パブを出て駅に向かって歩いているとき、マルコルムさんが息子の機嫌をとりもどそうと言った一言が、彼の最後の一言になるとはまわりの誰も予想していませんでした。
父親が息子の機嫌をとりもどそうと言った一言
「Right, you can have your free shot.(わかったよ、お前に一発殴らせてやるよ。)」
マルコルムさんは根っからの軍人で、「目には目を歯には歯を」の精神の持ち主でした。友達はイワンくんに「やめとけ、どうせ父親には勝てないんだから」と引き止めました。しかし、機嫌を損ねていたイワンくんは彼の顔に一発パンチかと思いきや、平手打ちをしました。
顔を平手打ちされたマルコルムさんはそのまま後ろに倒れ、頭を地面に強くたたきつけて意識不明に。すぐに病院に搬送されましたが意識が戻らず、翌朝帰らぬ人となってしまいました。
イワンくんに対する処罰は?
救急車とともにかけつけた警察に、イワンくんは殺人容疑で現行犯逮捕されました。「父親に殴れと言われたから殴ったら死んでしまった」──これは罪になるのだろうか。正当防衛で人を殺してしまった場合は罪に問われないことがありますが、イワンくんのケースは明らかに正当防衛ではありません。
イワンくんの法廷弁護人は、イワンくんには殺意はなく単なる事故だったと主張しました。裁判は18か月間にわたり、そしてイワンくんに下された判決は「無罪」でした。
無罪の理由としては、逮捕後の警察の尋問にすべて素直に答えたこと、その内容が当日一緒にいた関係者の話とすべて一致していたこと、さらにパブのセキュリティカメラの映像から父親が執拗にイワンくんをたたいたりしていた事実などが、無罪判決の決定的な証拠となったと報告されています。
子どもに残った深い傷
法律的には「無罪」だったかもしれません。しかし、イワンくんの心の中では、その瞬間から一生消えない“罪”が刻まれたのではないでしょうか。どんな判決が出ても、彼は自分の手で父を失ったという現実と向き合い続けなければなりません。
トラウマは、目に見える傷よりも深く人の内側に残ります。あの日の光景、周囲の声、父親の倒れる音──それらが心の奥に何度も再生されるたびに、彼は「もしあのとき違う言葉を選んでいれば」「もしもう少し我慢していれば」と、自分を責め続けるでしょう。
事故の後、心理学者たちはこう指摘しています。「事故や喪失によるトラウマは“加害者”“被害者”という単純な構図で片づけられない」。家族の中で生まれた悲劇は、外から見える以上に複雑で、心の修復には長い時間と支援が必要です。
いつまでも子供扱いしてはいけない
私も11歳の息子がおり、たまにじゃれあって息子が本気で怒ってしまうこともあります。今はまだ体も小さいので、息子が本気で殴りかかってきたとしても大丈夫ですが、あと5年もしたらマルコルムさんとイワンくんに起きたことが私にも起こるかもしれません。
親子の関係は、いつまでも一方的な「支配」や「保護」で成り立つものではありません。成長した子どもを対等な存在として認め、尊重する姿勢がなければ、小さなすれ違いが取り返しのつかない悲劇に変わることもあります。
そして、もし同じような悲しみを経験した人がいたなら、私たちは「誰のせいか」を問う前に「どうすれば癒せるか」を考える社会でありたい──この出来事は、そう問いかけています。










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