イギリスのフードデリバリーサービス ― 拡大する市場と揺らぐ足元

はじめに

イギリスにおいて、フードデリバリーサービスはもはや都市生活に欠かせない存在となっている。スマートフォンアプリからワンタップで注文し、わずか30分ほどで食事が届く――この利便性は新型コロナウイルスのパンデミックを契機に爆発的に浸透した。その後も市場は拡大を続け、街角にはスクーターや自転車で走る配達員の姿が日常風景として定着している。しかし、その裏側には、市場規模の急成長、労働環境の不安定さ、移民政策との摩擦、そして治安上の課題といった複雑な問題が存在する。本稿では、最新のデータと報道をもとに、イギリスのフードデリバリー産業を多角的に検証する。


1. 市場規模の拡大

イギリスのフードデリバリー市場は、現在100億ポンド規模に達していると推定される。調査会社Lumina Intelligenceによれば、2025年には市場規模が143億ポンド(約2.7兆円)に到達すると見込まれており、パンデミック後も安定した成長を維持している。

一方、米Grand View Researchは2024年のイギリス市場を約305億ドル(約4.5兆円)と評価し、2030年には458億ドルに拡大すると予測している。推計の幅には開きがあるが、いずれにせよ市場は巨大化しており、今後も成長余地が大きいとされる。

成長の背景には、都市部の外食文化の変化、共働き世帯の増加、そしてテクノロジーの進化がある。アプリ経由での注文、非接触決済、AIによる配達効率化などが普及し、利便性がさらに高まっている。


2. 主なプレイヤーと配達員の働き方

イギリスのフードデリバリーを支える主要プラットフォームは、Deliveroo、Just Eat、Uber Eatsの三大企業である。

  • Deliveroo
    ロンドン発祥の企業で、イギリス市場における存在感は依然大きい。配達員(通称「Roo Riders」)はギグワーカーとして自営業契約を結び、自転車やスクーターで街を駆け回る。
  • Just Eat
    かつては「注文仲介」が主で、配達はレストラン側に委ねる形態だったが、近年は自社雇用の配達員を増やし、Uber EatsやDeliverooと同様のモデルへとシフトしている。
  • Uber Eats
    世界的なシェアを持ち、イギリスでも都市部を中心に急速に拡大した。配達員はUberパートナーとして個人事業主契約を結び、短時間や副業として働く人も多い。

さらに、Domino’s Pizzaなどのピザチェーンは従来から自社配達員を抱えており、独自のネットワークを維持している。加えて、一部都市ではStarship Technologiesの自動配達ロボットが実用化され、未来的な光景も広がりつつある。


3. 配達員の日常と街角の風景

ロンドンやマンチェスターの繁華街では、マクドナルドや中華料理店の前にスクーターがずらりと並び、配達員がアプリを眺めながら待機する姿が見られる。彼らは注文が入るのを待っているだけだが、外部からは「たむろしている」と見られることもある。

時折、待機中の配達員同士で口論が起きる。原因は主に、

  • レストラン側の調理の遅れ
  • 駐車スペースの奪い合い
  • 配達案件をめぐる競争
    などである。多くは軽い言い争いで済むが、ストレスの多い労働環境を反映した現象ともいえる。

4. 不法就労と移民政策

近年、イギリス政府はフードデリバリー業界における不法就労問題に強い関心を示している。

2025年7月に実施された一斉取り締まり「Operation Equalize」では、全国で280名の配達員が不法就労の疑いで逮捕された。中には難民申請中の人や、正式な就労許可を持たない人も含まれており、彼らは政府の支援停止や強制送還の対象となる可能性がある。

特に問題視されているのは、アカウントの又貸し(account renting)である。合法的に働ける資格を持つ人がデリバリーアプリに登録し、そのアカウントを不法滞在者に貸すことで、違法に配達業務が行われるケースが多発している。

こうした背景から、街中で見かける配達員の一部は「不法滞在者なのではないか」との懸念を持たれることもある。しかし、実際には大多数の配達員は合法的に働いており、真面目に生活費を稼いでいる人々である。


5. 配達員をめぐる事件・トラブル

フードデリバリー業界は急成長の裏で、犯罪や事件に関連する報道も少なくない。

  • 顧客への暴行事件(2022年)
    ハンプシャー州でDeliveroo配達員が客と口論の末、指を噛みちぎるような攻撃を加え、有罪判決を受けた。
  • 配達員の殺害事件(2020年)
    ロンドン北部でUber Eats/Deliveroo配達員が車の運転手とのトラブルから刺殺される事件が発生。被害者は業務中であり、安全面の問題が浮き彫りになった。
  • DPD配達員殺害(2023年)
    シュルーズベリーで、23歳の配達員が複数人に襲撃され死亡。配達ルートが犯罪の標的にされた残忍な事件だった。

また一部メディアは、配達員を装って薬物取引に関与する事例も取り上げている。もっとも、こうしたケースは全体からすれば極めて例外的であり、大半の配達員は犯罪と無縁であることを忘れてはならない。


6. 労働環境と社会的議論

配達員の多くはギグワーカー(自営業扱い)であり、労働者としての最低賃金保障や有給休暇、社会保険の適用を受けにくい。これが長年議論の的となっており、労働組合や市民団体は「労働者としての権利を保障すべき」と訴えている。

一方、企業側は「柔軟な働き方を可能にするための制度であり、自由を求める配達員には好ましい」と主張する。現実には、収入の不安定さや安全上のリスクから、生活基盤としては不安定だという声が根強い。

さらに、移民問題や治安対策が絡むことで、単なる労使関係の枠を超え、社会全体の議題へと広がっている。


7. 今後の展望

イギリスのフードデリバリー市場は今後も成長が見込まれている。しかし、それに伴い解決すべき課題も増している。

  • 不法就労対策:アカウント貸与の取り締まりや本人確認の強化が不可欠。
  • 労働環境改善:最低賃金や社会保険の適用をめぐる制度設計が求められる。
  • 安全対策:配達員の防犯教育、交通安全の徹底、夜間業務のリスク軽減。
  • 技術革新:配達ロボットやドローンによる自動化が進めば、人間の配達員の役割も変化していく可能性がある。

これらの取り組みがうまく進めば、フードデリバリーは単なる利便サービスを超えて、都市生活における持続可能なインフラとなり得るだろう。


おわりに

フードデリバリーは、私たちの生活を便利にし、外食文化を一変させた。しかしその陰には、移民政策との摩擦、ギグワーカーの不安定な立場、そして安全面の懸念といった課題が横たわる。配達員を街角で目にしたとき、その背後には個々人の生活と社会的構造の交錯があることを思い起こす必要がある。

イギリスにおけるフードデリバリーの未来は、単に「料理を届ける仕組み」以上の意味を持ち始めている。それは、労働、移民、技術革新、都市生活の在り方をめぐる鏡であり、今後も私たちの関心を引き続けるだろう。

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