
■ はじめに:危機的状況にあるイギリスのホームレス問題
近年、イギリスにおけるホームレスの急増が社会のあらゆる層に影響を及ぼし、深刻な社会課題として国民的な関心を集めています。
2024年12月の報告によれば、イングランドだけでも一晩におよそ35万4,000人が「ホームレス状態」にあると推計されており、そのうち約16万1,500人が子どもです(The Guardian)。これは、イングランドの子ども人口の数%にあたり、教育や健康、安全面での深刻なリスクを伴っています。
ホームレスという言葉からは、一般的には「路上生活者(rough sleeper)」を思い浮かべるかもしれませんが、イギリス政府や支援団体が用いる定義はそれにとどまりません。友人宅を転々としている「ソファサーファー」、緊急シェルターや仮設住宅に一時的に収容されている人々、あるいは不適切な住環境(例えば、安全性や衛生面で基準を満たさない空間)に住む人も含まれます。
この拡大するホームレス人口の背後には、住宅政策、福祉制度、移民政策、そして経済格差など、複合的な要因が絡み合っています。
■ 背景にある主要要因
● 1. 住宅価格と家賃の高騰
ここ10年ほどでイギリスの住宅市場は大きく変化しました。特にロンドンを中心とした都市部では、住宅価格の高騰に歯止めがかからず、民間賃貸住宅の家賃も急上昇しています。とりわけ低所得層にとって、手頃な価格の住宅を確保することが極めて困難となっており、家計の中で家賃が占める割合はかつてないほどに上昇しています。
イギリスの住宅情報サイト「Zoopla」によれば、2024年時点でロンドンの平均家賃は月額2,100ポンドを超えており、全国平均でも1,200ポンド以上となっています。最低賃金で働く人々にとって、これは収入の半分以上を住居費に充てなければならないことを意味します。
● 2. 社会住宅の不足
公営または非営利団体による「ソーシャルハウジング(社会住宅)」の建設が数十年にわたって縮小されてきたことも問題です。1980年代に始まった「Right to Buy(持ち家推進政策)」によって多くの社会住宅が民間に売却されましたが、その後の再建が追いつかず、住宅供給のバランスが大きく崩れました。
2023年に新たに建設された社会住宅の数は過去最低レベルとなり、待機リストに登録されている人の数は150万人を超えています。この需給のギャップが、低所得層を民間賃貸市場に依存させ、ホームレス状態へと追いやる一因となっています。
● 3. 福祉制度の変更と住宅手当の削減
かつてはセーフティネットとして機能していた福祉制度の改変も、ホームレスの増加に拍車をかけています。特に問題視されているのが、「ユニバーサル・クレジット」と呼ばれる統合福祉制度です。
この制度は、複数の福祉給付(失業手当、住宅手当、児童手当など)を一括管理するもので、効率化を目的としていますが、導入当初から支給の遅延や支給額の不足が指摘されています。支給までの「待機期間」が最長で5週間にも及び、その間に家賃滞納が発生し、立ち退きを余儀なくされるケースも少なくありません。
また、住宅手当の上限が家賃の実勢価格に追いついていないことも大きな問題です。たとえば、手当上限が月額900ポンドの地域でも、実際の家賃は1,200ポンドを超えることが多く、差額を自腹で払えない世帯が急増しています。
● 4. 難民・移民政策の影響
難民・庇護申請者に関する制度変更もまた、ホームレス問題に影響を与えています。2023年以降、難民認定を受けた後の「移行期間」が短縮され、難民が公的支援を受けられる期間が大幅に短くなりました。
以前は28日間の移行期間が設けられていましたが、現在ではそれがわずか7日間という例もあり、その間に職を見つけ、住居を確保し、生活基盤を整えることは現実的ではありません。その結果、多くの難民が支援から漏れ、路上生活を余儀なくされています(Reuters Japan)。
■ 政府の対応とその限界
● 「Everyone In」キャンペーンの成果と課題
COVID-19パンデミック初期の2020年、イギリス政府は「Everyone In」キャンペーンを展開し、全国のホームレスを一時的にホテルなどの宿泊施設に収容しました。この政策は短期間ではありながらも、約3万人を路上から保護するという大きな成果を挙げました。
しかしながら、このキャンペーンはあくまで一時的なものであり、緊急対応の資金が枯渇した2022年以降、再び多くの人々が路上に戻るという事態に陥りました。さらに、恒久的な住まいの提供や就労支援など、長期的な社会復帰を支援する体制が未整備であることも課題です。
● 地方自治体の財政負担と限界
Financial Timesによると、2024年3月までの1年間における地方自治体の緊急住宅支出は7億3,200万ポンドに達し、前年比で約80%の増加となりました。この支出の多くは、ホームレスとなった家族に対して一時的な宿泊施設を提供するための費用です。
しかし、このような緊急対応は持続可能とは言えません。地方自治体の多くは財政的な余裕がなく、今後さらに予算の圧迫が予想されます。抜本的な政策転換なしには、現場が疲弊し、より多くの人々が制度からこぼれ落ちていく恐れがあります。
■ 解決に向けた提言:何が必要か?
● 1. 手頃な社会住宅の供給拡大
もっとも基本的かつ重要な施策は、社会住宅の大規模な建設です。これは単なる建築の問題ではなく、「住宅を人権とみなす社会哲学」の再構築でもあります。
政府主導で土地を確保し、非営利団体や協同組合との連携によって、誰でも安心して住める住宅を提供する必要があります。
● 2. 福祉制度の再設計と現実的な住宅手当の設定
ユニバーサル・クレジット制度の見直しと、住宅手当の実態価格への引き上げが求められます。また、給付の即時性を確保することで、支給待ちによる家賃滞納や立ち退きを未然に防ぐことができます。
● 3. 医療・教育・就労の包括的支援体制
ホームレス状態の人々は、身体・精神の健康、教育機会の喪失、就労の困難など、複数の困難を同時に抱えています。これに対処するには、住宅提供だけでなく、医療・心理ケア、職業訓練、就職支援など、多角的なサポートが不可欠です。
たとえばスコットランドでは、Housing First(ハウジング・ファースト)というモデルが導入され、まず安定した住まいを無条件で提供し、その後に生活支援を展開する手法が成果を上げています。これを全国レベルで導入することも検討に値します。
■ おわりに:ホームレスは「自己責任」ではない
イギリスにおけるホームレス問題は、単なる個人の「怠惰」や「依存」ではなく、社会構造の変化や政策の欠陥が引き起こした現象です。
家を持たないという状況は、誰にでも起こりうるリスクであり、「他人事」ではありません。特に物価高やエネルギー危機が続く現代において、ひとたび収入が途絶えれば、明日は我が身とも言えるでしょう。
政府、地方自治体、市民社会、企業が連携し、ホームレスの人々を包摂する社会の実現に向けて動き出すことが今、求められています。持続可能で公平な社会は、最も弱い立場にある人々をどう扱うかで評価されるべきなのです。
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