イギリス人が戸惑う「日本人の不思議な思考と行動」──文化・社会・政治の深層に迫る

異文化交流の面白さは、日常の当たり前が、別の文化圏では驚きや混乱の種になることだ。とくに日本とイギリスは、どちらも島国で礼節を重んじる社会を持ちながらも、その表現方法や社会の構造には大きな隔たりがある。イギリス人が日本に移住したり、出張や旅行で一定期間滞在すると、言葉では説明しにくい“違和感”を覚えることが多々ある。

本稿では、イギリス人から見て理解しがたいとされる日本人の5つの思考・行動パターンを紹介し、その背後にある歴史的背景、社会構造、そして政治的要素にまで切り込んで考察する。


1. 遠回しな「NO」=「YES」に聞こえる!?──あいまい表現の政治学

日本語の「玉虫色」と政治的コミュニケーション

日本人の会話には、明確な「NO」を避ける傾向がある。たとえば「ちょっと考えさせてください」「難しいかもしれません」といった表現は、実際には「NO」の意味であるにもかかわらず、イギリス人には交渉の余地があるように聞こえることが多い。

これは単なる文化的違いではなく、日本の政治や官僚制度とも深く関わっている。日本の行政文書や政治家の答弁では、「慎重に検討」「総合的に判断」といった曖昧な表現が多用される。これは対立を避けるため、また失言による責任追及を避けるリスクマネジメントでもある。

一方でイギリスは、議会制民主主義の伝統が色濃く、ディベートを通じて意見の相違を明確にすることが求められる。首相が国会で激しく野党と討論する光景は、英国政治の象徴でもあり、そこでは「イエスかノーか」が明確であることが尊ばれる。

教育と家庭で育まれる「あいまいさの美徳」

日本では幼少期から「空気を読む」ことが美徳とされる。学校教育では和を乱さず、協調性を第一にする傾向が強い。これがビジネスや外交の場でも表れ、「玉虫色の表現」はしばしば“美しさ”や“調和”とされる。だがこれは国際交渉の場では誤解を生むリスクも伴う。


2. なぜ皆同じ方向を向いて電車に乗るのか?──集団主義とパブリックスペースの意味

「公共の場」でのふるまいに現れる意識の差

イギリスの電車では、赤の他人同士が話し始めることもあるが、日本ではあり得ないほど静寂が保たれている。誰もが目を合わせず、スマートフォンや読書に没頭する姿は、日本の通勤風景としてよく知られている。

これは単なる「シャイな国民性」ではなく、集団主義とパブリックスペースに対する考え方の違いに由来する。

終戦直後の「秩序重視」政策とメディアの影響

戦後日本は、GHQの統治とその後の高度経済成長期を通じて、「秩序」と「礼節」が社会的価値として強く浸透した。満員電車でも秩序を乱さないこと、静かに過ごすことが「よき市民」の証とされた。

この文化は、学校教育だけでなく、テレビや雑誌などのメディアでも強化されてきた。「迷惑をかけない」「自分を抑える」ことが理想の日本人像として描かれ、社会全体で内面化されてきたのだ。


3. 「すみません」が万能すぎる──謝罪と感謝の境界線

「すみません」に込められた日本的コミュニケーションの神髄

日本語における「すみません」は、謝罪だけでなく感謝、呼びかけ、さらには謙遜や相手への配慮といったニュアンスを一手に担う、非常に多義的な言葉だ。

イギリスでも “Sorry” や “Excuse me” は使われるが、日本ほど頻度は高くない。イギリス人が日本に来てまず驚くのが、「なぜ自分が悪くない場面でも、相手が謝ってくるのか」という点だ。

明治期から続く「上下関係」とことばの位階

このような言語感覚の背景には、日本社会の階層的構造がある。明治維新以降に導入された「身分なき階級社会」は、言葉づかいや態度における“礼”を通じて上下関係を表現するシステムを確立した。

「すみません」はその中で、自分を下に置くことで相手を立て、争いを避けるための“ツール”となっている。政治の場でも、謝罪によって炎上を避けつつ、実際には責任の所在をぼかすという使い方が目立つ。


4. 残業文化と「休めない」空気──経済政策が作った働き方

ワークライフバランスの落とし穴

イギリスでは定時退社が推奨され、労働者の権利が比較的強く保障されている。一方、日本ではいまだに「みんなが残っているから自分も」という同調圧力が存在する。

これには、1970年代以降の高度経済成長と、1990年代の「失われた10年」における経済の構造的停滞が影響している。政府は「働き方改革」や「過労死対策法」などを打ち出してきたが、現場レベルではまだ十分に浸透していない。

政治と労働者のパワーバランス

労働組合の力が強いイギリスに比べ、日本では労組の発言力が相対的に弱い。労働者保護よりも「企業利益」が優先される構造が根深く、政治もそれを積極的に是正してこなかった。

さらに、「勤勉さ」は戦後の経済復興を支えた“美徳”とされ、今なお政治家の演説や官公庁の報告書に頻出するキーワードでもある。この価値観が、現代のブラック企業問題にもつながっている。


5. 褒められると否定するクセ──謙遜文化と“出る杭”の政治的抑圧

謙遜と自信の表現

イギリス人が「Nice dress!」「Great presentation!」と褒めると、日本人はたいてい「いえいえ、全然そんなことありません」と否定する。これは単なる照れや自己否定ではなく、相手を立てる文化的な配慮だ。

ただし、国際的な場では「自信がない」「能力がない」と誤解されることも少なくない。

「出る杭は打たれる」社会の政治的側面

日本社会には、目立つことを避け、周囲と同調する傾向がある。「出る杭は打たれる」という諺は、その象徴だ。このような風潮は、明治時代以降の中央集権的な教育制度と、戦時体制下の国家統制に端を発する。

戦後もこの構造は変わらず、政治的にも「集団を乱す行為」が危険視されてきた。そのため、個人の成功や突出が、無意識のうちに“調和を乱す”と見なされる傾向が根強い。


おわりに──違いを超えて向き合うために

イギリスと日本はともに礼儀や品位を重んじる文化を持ちながら、その根底にある思想や歴史的背景は大きく異なる。遠回しな断り方、静かな電車内、多用される「すみません」、休みにくい職場、褒められても謙遜する態度——これらは一見不可解でも、それぞれの社会構造や政治的土壌の中で育まれてきた結果なのだ。

こうした違いを知り、相手の文化的背景を理解することは、グローバルな時代においてますます重要になる。文化の違いに戸惑うのではなく、それを面白がり、学び合い、共存の知恵を育てていくことが、今の国際社会に求められている姿勢ではないだろうか。

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