「人は見られたように育つ」——イギリスで学んだ、評価と行動の不思議な関係

はじめに

人間は他者との関係の中で生きている。とりわけ、私たちがどのように他人から見られているか、どんな期待を向けられているかは、私たち自身の行動に大きな影響を及ぼす。そのことを私は、イギリスでの留学生活の中で実感することとなった。特に印象的だったのは、「悪いことをしそうだ」と思われている人々が実際にそうした行動に陥りやすく、「良い人」と見られている人たちはより善良な振る舞いをしやすくなるという傾向だった。

これは単なる印象論ではなく、教育現場、社会政策、犯罪学の文脈で繰り返し研究されてきた事実でもある。本稿では、私がイギリスで出会った実体験や、学問的背景、そして日本社会への応用の可能性を含めて、このテーマについて掘り下げていきたい。

ラベリング理論との出会い

私がこの考え方に初めて触れたのは、ロンドン大学での社会学の講義だった。教授が紹介してくれたのは「ラベリング理論(Labeling Theory)」という概念だ。これは、ある人に「不良」「犯罪者」「問題児」などのラベルが貼られると、その人はそのラベルにふさわしい行動をとるようになってしまう、というものだ。

この理論の背後には、「自己成就的予言(Self-fulfilling Prophecy)」という心理学の概念がある。つまり、人に対してある期待をかけると、それがその人の行動に影響を及ぼし、最終的に期待通りの結果を生むという循環だ。

ある実験では、教師に対してランダムに「この生徒たちは今後成績が伸びる可能性が高い」と偽の情報を与えると、実際にその生徒たちの成績が向上したという結果が出ている。教師の態度が無意識のうちにその生徒たちに対して前向きなものになり、それが生徒の自己評価や努力に影響したからだ。

イギリスの教育現場にて

イギリスの公立学校を訪れる機会があった際、私はこの理論が現実として存在していることを実感した。あるロンドン郊外の中学校では、移民の子どもたちや経済的に厳しい家庭の子どもたちが多く通っていた。その中で、教師たちは「この子は問題児だ」「この子はよくトラブルを起こす」といった評価を無意識のうちに持っているように見えた。

ある日、先生と話していたとき、「あの子はまたやったよ。やっぱり彼は変わらないね」と言う言葉を聞いた。しかし、その子の行動を観察してみると、最初は確かにやんちゃで反抗的な面もあったが、他の生徒と比べて特に突出しているようには見えなかった。むしろ、周囲からの期待があまりにも低いために、「どうせ自分なんて」と諦めているような印象すら受けた。

一方で、別の生徒には「将来はリーダーになれる」と期待がかけられていた。その子は小さなルール違反をしてもあまり咎められず、教師からの信頼も厚かった。結果としてその生徒は、クラスで積極的に発言し、他の生徒のサポートも行う、まさに模範的な生徒として振る舞っていた。

犯罪学との接点

イギリスでは犯罪学も盛んに研究されており、犯罪者予備軍とされる若者たちへの関与の仕方が重要なテーマとなっている。警察や福祉の介入が早すぎたり、過度に監視的であったりすると、若者たちは自分を「社会から拒絶された存在」だと認識し、犯罪に走る可能性が高くなることが明らかになっている。

たとえば、「Stop and Search(職務質問)」の制度は、黒人やアジア系の若者たちに対して不公平に適用されていると長らく批判されてきた。何度も無実なのに警察に呼び止められることで、「どうせ自分は疑われる存在なんだ」という自己認識が強化され、それが反社会的な行動につながるリスクを高めている。

社会的期待の力

イギリスで学んだもう一つの重要なポイントは、「社会的期待の力」だ。人は、他者から「あなたならできる」と期待されたとき、その期待に応えようとする傾向がある。特に、家庭、学校、地域社会などからの肯定的な期待は、若者にとって大きなモチベーションとなる。

あるチャリティ団体の活動に参加した際、問題行動を繰り返していた若者に対して、メンターが毎週会って話を聞き、「君は変われる」「君には価値がある」と言い続けていた。半年後、その若者は職業訓練に参加し、将来に希望を持ち始めていた。単純なように見えて、「誰かが信じてくれる」ことの影響力は計り知れない。

日本社会への示唆

このような経験を通じて、私は日本の教育や社会制度に対しても疑問を持つようになった。日本では、子どもの頃に一度「問題児」と評価されると、それがずっと尾を引くことが多い。中学や高校での内申書、大学入試、就職活動など、レッテルが行動や評価を決定づける場面が多すぎるのではないか。

また、日本では「和を乱す者」への視線が厳しく、集団の中で一度でも違和感を持たれると、その人の居場所がなくなってしまうこともある。そうした環境の中で、「自分はダメな人間だ」と思い込んでしまう若者が増えてしまうのも無理はない。

「見方を変える」ことで社会は変わる

イギリスでの学びを通じて、私が得た最も大きな教訓は、「人を見る目を変えれば、その人の未来も変わる」ということだ。もちろん、行動の責任は個人にある。しかし、その行動が生まれる背景には、必ず周囲の影響や環境がある。

人に対して、「君ならできる」と伝えること。過去の過ちを許し、未来に希望を持てるような関わり方をすること。それは、家庭でも、学校でも、職場でも、そして社会全体でも、誰にでもできる「小さな革命」だ。

終わりに

「悪いことをしそうだ」と思われている人は、実際に悪いことをしやすくなる。「良い人だ」と信じられている人は、その信頼に応えようとする。こうした現象は、個人の問題ではなく、社会全体の構造と意識の中にある。

イギリスで学んだこの視点は、私の人間観を大きく変えてくれた。そして、今後の日本社会においても、人の見方、関わり方を変えることによって、もっと多くの人が自分らしく、前向きに生きられる社会が実現できると信じている。

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