
ロンドンの片隅、白地に赤の十字が風に揺れている。サッカーW杯が始まると、英国中のパブにはイングランドの国旗が掲げられ、昼夜を問わずユニフォームを着た人々で賑わう。
誰もが肩を組み、ビールを片手に「イングランド!」と叫ぶ光景。
この熱狂を前に、日本人として私はふと疑問を抱く。
これは「愛国心」なのだろうか?
それとも単なる“イベント好き”が高じた、一種の社交儀式にすぎないのだろうか?
この問いを解くには、イギリス人の“パトリオティズム(愛国心)”に対する独特な距離感を読み解く必要がある。
愛国心は、気恥ずかしいもの?
まず最初に断っておきたい。
イギリス人は決して「非愛国的」ではない。
だが、彼らの多くは“自分が愛国者だ”と声高に言うことに、ある種の気恥ずかしさを感じている。
これは歴史的背景と関係が深い。かつて大英帝国として世界の覇権を握った過去が、戦後の脱植民地化とともに「批判の対象」となり、愛国心が“無邪気に表明するには重すぎるもの”へと変化した。特に1970年代以降の英国では、ナショナリズム=極右、排他、差別的という構図が強調され、あからさまな国旗掲揚や軍歌斉唱は一部の層を除き「慎むべきもの」とされる空気があった。
その結果、「俺はイングランドを誇りに思っている!」というようなセリフを公の場で言うと、ややイタい人扱いされる風潮が生まれた。
では、なぜサッカーW杯やオリンピックになると、突如として街中が国旗に染まり、誰もが赤白のペイントを頬に施してパブに集うのか。
パブで“国”を応援する――その真意
イギリスでは、パブ(Pub=Public House)は単なる飲み屋ではない。社会的つながりの場であり、地域共同体の“リビングルーム”のような存在だ。
そのパブで、国家代表のスポーツチームを仲間とともに応援するという行為は、愛国心というより「共同体意識」の表現だと言える。
とりわけイングランド代表の試合になると、「俺たち」という感覚が一気に高まる。国というよりは「サッカーを通じた地域的・文化的アイデンティティの確認」に近い。
あるロンドン北部のパブで、サッカーW杯の試合中に話を聞いた中年男性は、こう語っていた。
「俺たちは政治にはもう期待してない。でも、この90分間だけは“みんなで一つになれる”。それがどんなにくだらなく見えたって、必要なんだよ、こういう時間が」
愛国心は、感情の奥底にある「所属欲求」や「誇り」と密接に結びついている。
だが、イギリス人はその“誇り”をストレートに表現することに慎重だ。
そのため、スポーツという“正当な口実”が生まれた瞬間だけ、抑えていた愛国感情が爆発する。
「国歌を歌わない」首相と、涙ぐむ観客たち
2022年のカタールW杯では、イングランド代表の試合前、国歌「God Save the King」を観客が大合唱した一方で、政治家や著名人があえて口を閉じている場面が注目された。
これを「非国民」と断じる声は英国には少ない。むしろ、「愛国心の押し売りは慎むべき」というリベラルな価値観が根強く、愛国的表現に対する過敏な反応すらある。
だが同時に、スタジアムで涙を浮かべながら国歌を歌う人々もいる。
そのギャップがまさに、イギリス的“控えめなパトリオティズム”の縮図なのだ。
イギリス的“二枚舌”の魅力
イギリス人は、何事においてもストレートな表現を避けたがる傾向がある。
それは政治でも恋愛でも、そして愛国心でも同じだ。
「自分の国を誇りに思っている」と言いながら、次の瞬間には「でも、ひどい国だよな、正直」と自虐する。この両義性がイギリス文化の核心であり、彼らの愛国心もこの“二枚舌”によって巧妙にコントロールされている。
日本人が「イギリス人は愛国的なのか」と疑問に思うとき、それは日本の“建前と本音”文化とはまた違った「自覚的なアイロニー」に戸惑っているのだろう。
結論:パイント片手の“愛国心”は本物か
では、パブでビールを片手に騒ぐイギリス人たちは、本当に国を愛しているのか?
その答えは「Yes」であり「No」でもある。
彼らにとって愛国心とは、“誇らしく思いたいが、それを大声で言いたくない”複雑な感情の集合体なのだ。
そしてその曖昧な感情を、安全かつ共有可能な形に変換してくれるのが「スポーツ」という祭典であり、パブという空間なのだ。
つまり――
彼らが一斉にユニオンジャックを掲げ、ビールで乾杯するその瞬間こそが、最もイギリス的な愛国心の表れだと言えるだろう。
それは、誇りと諧謔、熱狂と皮肉が絶妙に混ざり合った、“笑って泣ける”パトリオティズムなのである。
余談:パブで聞いた「本音」
最後に、W杯期間中に筆者が実際にパブで耳にしたいくつかの会話を紹介しておこう。
若者(20代・女性):
「正直、ふだん国とかどうでもいいけど、こういうときだけ“イングランド”になれるの、嫌いじゃない」
中年男性(50代):
「国のためじゃない。だけどこのチームのために泣ける。俺にとって、それが“国”なのかもな」
高齢の元軍人(70代):
「昔はもっと“イングランド人であること”に誇りがあった。でも今の若い子たちがこうして応援してるの見ると、少し安心するんだよ」
それらの言葉は、すべてビールの泡の向こう側にある“イギリス的愛国心”の、静かな本音だった。
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