
2005年、私は初めてイギリスに渡った。当時の私は大学を出たばかりで、右も左もわからないままロンドン郊外のシェアハウスに腰を下ろした。留学という名の冒険。だが、イギリスでの生活が20年に及ぶとは、そのとき想像もしていなかった。そしてこの20年間で、もっとも変化を感じたのは、通貨ポンドの重みと物価の高さだった。
最初の記憶:2005年、ティーとチョコレートバーの値段
2005年当時、駅の売店で売られていた紅茶は1杯50ペンス、チョコレートバーは30ペンス。Tescoのプライベートブランドの牛乳(4パイント)はおよそ1ポンド。外食をしても、ローカルの中華レストランで£5あればランチセットが食べられた。今思えば、すべてが「安かった」。だが、そのときの私の収入もまた、今の半分にも満たなかった。
2008年の金融危機:目に見えない影響
2008年のリーマン・ショック。イギリスでも大きな影響があった。失業率が上昇し、家計は冷え込んだ。価格はすぐには上がらなかったが、生活費のうち「質」の部分が削られ始めた。スーパーではブランド品の棚から、安価なプライベートブランドの商品に人が集まるようになった。私自身も、Marks & Spencer のサンドイッチからTescoの£1ランチに切り替えたことを覚えている。
2010年代:じわじわと感じる「値上げ」
2012年ロンドン・オリンピックの頃には、物価はゆっくりとだが確実に上昇していた。紅茶は1杯80ペンスに、牛乳は£1.20。公共交通機関の料金もこの頃から目に見えて上がり始め、Zone 1-2のトラベルカードが月£100を超えるようになった。
また、電気・ガスなどの公共料金も徐々に上昇。寒い冬にセントラルヒーティングをつけっぱなしにすることをためらうようになったのもこの時期だ。
2016年:Brexitショックとポンドの暴落
物価高を一気に現実のものとして感じたのが、2016年のBrexit国民投票だ。投票結果が出た翌日、ポンドは対ドルで急落。すぐに「値段が上がった」とは感じなかったが、数週間、数か月のうちにじわじわと影響が出始めた。
輸入品の価格が上がり、食料品や日用品の棚が徐々に高額化。バターが£1.50から£2.00へ、コーヒーの価格も1袋あたり20〜30%上がった。私のような庶民にとっては「じわじわと、でも確実に家計を侵食してくる」感覚だった。
2020年:パンデミックと物流ショック
2020年、新型コロナウイルスのパンデミックが始まったとき、イギリスではトイレットペーパーが棚から消えた。それとともに、生活必需品の価格が不安定になった。オンラインショッピングに切り替えたものの、送料が高騰し、安売りの恩恵も少なくなった。
この頃、近所のスーパーでは卵が2倍、パスタが品薄、冷凍食品も手に入りづらくなった。私は週末ごとに、3〜4軒のスーパーをはしごして必要なものを揃えるようになった。
2022年以降:エネルギー危機とインフレのピーク
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年、エネルギー価格が爆発的に上昇した。電気代、ガス代、灯油代がどんどん上がり、「冬の暖房」が贅沢品のように感じられた。政府の補助がなければ、多くの家庭が凍えていたことだろう。
この年、私の家庭の光熱費は前年比で約2倍に跳ね上がった。毎月のガス代が£60から£130に、電気も£50から£110に。日用品も、紙製品(ティッシュやトイレットペーパーなど)が£1から£1.80に。お菓子の値段でさえも「いつの間にか」2倍近くなっていた。
2023〜2024年:物価の“固定化”と生活の見直し
一時のピークは過ぎたが、価格は元には戻らなかった。いわば「高止まり」である。牛乳は£1.80前後、パンは£1.50、バターは£2.50以上。かつて£1で買えたランチ用サンドイッチは、今や£3以上が当たり前。コーヒーチェーンのラテも、£4前後に。
私たちの生活は、この“新しい物価水準”に適応しようと模索している。節約術を学び、フードバンクの利用者が増え、育児や介護との両立に悩む家庭が増えた。私も、外食は月に1度に抑え、自炊と冷凍保存を駆使するようになった。
20年間を振り返って
2005年から2025年。20年での変化を数字で見ると、以下のようになる:
品目 | 2005年 | 2025年(概算) |
---|---|---|
紅茶1杯(カフェ) | £0.50 | £2.50 |
牛乳4パイント | £1.00 | £1.80 |
トラベルカード(Zone1-2/月) | £80 | £160 |
外食ランチ | £5 | £12〜£15 |
バター250g | £1.20 | £2.50 |
すべてが倍以上、と言っても過言ではない。給料もある程度は上がったが、税金・保険料の増加、生活費の上昇を考えれば、「豊かになった」とは言いづらい。
それでも暮らしは続く
私がこの国に根を下ろして20年。いろんなものの「値段」は上がった。でも、人との関わりや、小さな喜びの価値は変わらない。友人とシェアした一杯の紅茶、街角で見かけた子どもの笑顔、寒い夜に灯す暖かな照明――そういうものの価値は、値段とは関係ない。
物価はこれからも上がるかもしれない。それでも私はこの国で、少しでも心豊かな暮らしを続けたいと思っている。
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