
9月9日、ウエスト・ミッドランドのオールドベリー、テーム・ロード周辺で、20代の英国生まれのシーク教徒の女性が2人の白人の男に襲われ、強姦被害を訴えた。事件は朝の通勤時間帯、午前8時から8時30分の間に発生したとされ、容疑者らは彼女に向かって「この国にいる資格はない、出て行け」といった趣旨の言葉を浴びせたという。被害者はイギリス国籍を持つ生粋の英国人であり、地域のシーク家庭の一員だ。警察は憎悪犯罪(人種的動機)として捜査を進め、監視カメラ映像や法科学的分析を続けている。のちに30代の男が逮捕され、9月17日に保釈となったが、関与が疑われるもう1人の男の特定と逮捕はなお急がれている。事件後、地域では大規模な自発的集会が開かれ、シーク系団体が情報提供に対し1万ポンドの懸賞を掲げて市民に協力を呼びかけている。
この事件における襲撃の言葉は、近年の反移民を掲げる抗議活動と無関係だろうか。街頭で繰り返される「国を取り戻せ」「ここはお前の居場所ではない」といったスローガンが、複雑な社会問題を単純化し、他者への憎悪を“正当化”する空気を一部にもたらしてはいないか。私たちは、この国で生まれ育ち、働き、税を納め、地域を支える人々――たとえば今回の被害者のような英国籍のシーク家庭――までが、“よそ者”と決めつけられる現実に向き合わなければならない。
誤ったメッセージが届く先
反移民を掲げるデモや過激な言説の主催者は、「秩序の回復」「治安の改善」を口にする。しかし、実際に拡散されるのは「外見や名前が違えば敵だ」という乱暴な合図だ。とりわけ、経済的不安や地域コミュニティの縮小、教育機会の格差の中で育ち、政治やメディアの“説明不足”に置き去りにされた一部の人々には、その合図が唯一の“分かりやすい物語”として浸透してしまう。ここで言うのは誰かを貶めるためではない。むしろ、機会や情報へのアクセスが限られてきた人々ほど、過激なスローガンに感情を代弁されたように感じやすい、という構造への警鐘だ。
だが、怒りのはけ口としての「よそ者」指差しは、現実を改善しない。賃金の伸び悩み、住宅不足、公共サービスの逼迫、地域の若者支援の不足――問題の根は長期の政策選択や投資不足にある。そこへ「敵」を提示する政治的キャンペーンが上書きされると、真の原因分析が棚上げされ、無関係の隣人が犠牲になる。
オールドベリーの現場から見えるもの
今回の被害女性は“自分の国”にいた。それでも「出て行け」と罵倒された。つまり、外見・宗教・名前が“英国人であること”よりも優先される瞬間が、今の英国のどこかに存在してしまったということだ。事件は朝8時台の人目のある時間帯に起きた。卑劣さに加え、加害者側の“正当性の錯覚”を感じさせる。誰がその錯覚を育てたのか。街頭のシュプレヒコールだけではない。SNS上の拡散、センセーショナルな動画、クリック至上主義の見出し、そして政治家の“ウィンクと頷き”――曖昧に肯定する仕草が積み重なり、現場の暴力にまで転化する。
警察は“憎悪犯罪としての立証”に必要な慎重さを保ちつつ捜査を続けている。市民の側には、目撃情報の提供や被害者・コミュニティの支援という具体的な役割がある。地域寺院(グルドワーラー)や市民団体が声を上げ、集合的な拒否――「この街では憎悪を許さない」という意思表示――を続けることが、次の暴力を遠ざける。
“治安”を語るなら、まず事実から
反移民のデモが掲げる「治安」の旗を、本気で守りたいなら、感情を煽る単純な敵味方の図式ではなく、事実とデータに立ち返るべきだ。英国の地域社会を安全にするのは、教育・雇用・住宅・メンタルヘルス支援への投資であり、警察・司法の証拠に基づく運用であり、地域の相互監視ではなく相互扶助だ。怒りを動員して敵を作る運動は、一瞬のカタルシスを与えるかもしれないが、暴力の連鎖とコミュニティの分断を深めるだけだ。
私たちが示すべき“英国らしさ”
英国は、法の支配、言論の自由、宗教の自由、少数者の権利の尊重を核として築かれてきた。英国生まれのシーク女性が、通勤途中に「自分の国に帰れ」と罵倒される――この矛盾を直視し、「それは英国らしくない」と明言する勇気こそ、今求められている。必要なのは、被害者の尊厳とプライバシーを守る報道、コミュニティへの継続的支援、そして、政治が短期的な票読みではなく、長期の社会投資で答えることだ。
事件の全容は今も捜査中であり、司法手続きには時間がかかる。だからこそ、私たち市民は結論を急いでデマや陰謀論に走るのではなく、事実を待ち、事実に基づいて怒るという態度を持ちたい。街角で響く「出て行け」という声を、「ここはあなたの国でもある」という意思で打ち消すのは、私たち一人ひとりの役目だ。
報道の扱いの差
今回の事件は、地域社会や一部の報道機関では取り上げられているものの、全国ニュースとして大きく扱われてはいない。この沈黙自体が、社会における偏りを映し出している。もし被害者が白人女性であったなら、事件は「衝撃的な犯罪」として連日報じられ、数週間から数カ月にわたってトップニュースで議論され続けた可能性が高い。報道の偏りは被害者に二重の痛みを与え、同時に「誰の命がより“ニュース価値”を持つのか」という暗い問いを社会に突き付けている。
参考リンク
- The Guardian: Man arrested over racially motivated rape of woman in West Midlands
- BBC News: Oldbury: Sikh woman raped in racially motivated attack
- Birmingham Live: Community offers £10,000 reward in Oldbury rape investigation
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