ロンドンにおけるストライキ文化 ― 公共交通とNHSをめぐる労働者たちの闘い

序章:なぜロンドンではストライキがニュースになるのか

ロンドンに暮らしたことのある人、あるいは旅行で訪れたことのある人なら、突然の「ストライキ」に巻き込まれた経験があるかもしれない。地下鉄が止まり、通勤者がバスや自転車に殺到し、街中が混乱に陥る。あるいは病院での診療や手術が延期され、患者が長い待機リストに追加される。こうしたニュースは珍しいことではなく、ロンドンの生活風景の一部とさえ言える。

では、なぜイギリスでは、特にロンドンで、これほど労働者によるストライキが頻発するのだろうか。本記事では、ロンドン交通局(TFL)と国民保健サービス(NHS)の事例を中心に、その背景を探っていく。


TFL ― 公共交通の要を握る公営組織

ロンドン交通局、通称TFL(Transport for London)は2000年に設立された公的機関だ。ロンドン市長とロンドン議会の監督下にあり、地下鉄、バス、トラム、ドックランズ・ライト・レイルウェイ(DLR)、オイスターカードの決済システムなどを統括している。

ここで重要なのは、TFLが民営企業ではなく公営機関である点だ。つまり、最終的な責任は市長と議会、ひいては市民に帰属する。そのため、労働争議は単なる労使間の問題にとどまらず、政治的な意味合いを持ちやすい。

公営と委託のハイブリッド

もっとも、TFLがすべてを直営しているわけではない。たとえばロンドン地下鉄はTFL直轄の従業員が多いが、バスはArrivaやGo-Aheadといった民間会社に運行を委託している。したがって、ストライキの主体も多様で、地下鉄職員の組合と、民間バス会社の運転手がそれぞれ別々に争議行動を取ることもある。

労働組合の存在感

イギリスの公共交通において特筆すべきは、労働組合の強さだ。特にRMT(National Union of Rail, Maritime and Transport Workers)ASLEF(Associated Society of Locomotive Engineers and Firemen)といった組合は強力で、労働条件交渉でしばしばストライキを武器としてきた。彼らの影響力は日本の交通系労組と比べても格段に大きい。


NHS ― 国民皆保険を支える巨大組織

次に医療を見てみよう。イギリスのNHS(National Health Service)は世界的に有名な国民皆保険制度であり、1948年から続く公営医療機関である。英国に住む人々にとって、診察や手術、救急医療まで無料または低額で受けられるNHSは生活に欠かせない存在だ。

しかし近年、このNHSでもストライキが相次いでいる。特に若手医師(junior doctors)によるストライキはニュースで大きく取り上げられることが多い。

なぜ医師がストライキを?

医師がストライキをする、というのは日本人の感覚からすると驚きかもしれない。だがイギリスでは法的に認められており、BMA(British Medical Association)という医師組合のもとで組織的に行われる。

その背景には、次のような事情がある。

  • インフレに給与が追いつかず、実質賃金が低下している。
  • 長時間労働や夜勤が常態化している。
  • 若手医師がオーストラリアやカナダへ「医療移住」し、イギリスの人材流出が進んでいる。

もちろんストライキといっても、命に関わる救急業務は維持される。それでも診療や手術が延期され、患者への影響は甚大だ。


「公営だからストが起きる」のか?

ここで一度整理してみよう。交通も医療も、ともに「公営組織」によって運営されている。では「公営だからストライキが起きやすい」のだろうか?

答えは半分イエス、半分ノーだ。

  • イエスの側面:公営セクターは政治的な交渉対象になるため、組合がストライキを通じて世論を動かしやすい。
  • ノーの側面:ストの直接の原因は「給与・待遇」「労働環境」であり、公営か民営かは二次的要因にすぎない。

つまり本質は「労働組合の力」と「生活インフラとしての公共性」にあるのだ。


ストライキを支える年金と安定

ではなぜ、文句を言いながらも多くの人が交通機関やNHSに残り続けるのか。ここには年金制度と雇用の安定性が大きく関わっている。

ゴールド・スタンダードと呼ばれる年金

NHS職員やTFLの従業員は、確定給付型の年金(DB pension)に加入している場合が多い。これは給与や勤務年数に応じて退職後の給付額が保証される仕組みで、民間企業の確定拠出型年金(DC)に比べてはるかに手厚い。イギリスでは「NHS年金はゴールド・スタンダード」とまで言われる。

このため、若いうちは不満を抱えても「年金のために辞められない」と考える人が少なくない。

雇用の安定

加えて、公営セクターは民間に比べて解雇やリストラが少ない。不況時でも職を失うリスクが低いのは大きな安心材料だ。


日本との比較:なぜ日本ではストが少ないのか

ここで自然に湧く疑問は、「なぜ日本ではこれほど頻繁にストライキが起きないのか」ということだ。

  • 労働組合の力の違い:日本の労組はかつては強かったが、現在では組織率が低下し、ストライキは珍しくなっている。
  • 公共性に対する考え方:日本では「公共交通や医療は止めてはいけない」という社会的圧力が強く、労働者側もストに踏み切りにくい。
  • 待遇差:日本の医師は激務だが給与水準は比較的高く、イギリスの若手医師のような「待遇改善を求める国際移住」の動きは少ない。

結果として、日本では「不満を抱えながらも働き続ける」姿が常態化し、イギリスでは「不満が限界に達すればストに訴える」という違いが生まれている。


結論:ストライキは社会の鏡

ロンドンのストライキ文化は、単なる労使対立ではなく、社会全体の仕組みの反映でもある。

  • 公営組織に対する強力な労働組合の存在
  • 公共インフラの不可欠性
  • 年金と雇用の安定という残留インセンティブ
  • そして政治と世論の影響

これらが複雑に絡み合い、ロンドンでは今日もストライキがニュースの見出しを飾る。

日本から見ると「迷惑な文化」と思えるかもしれない。しかし、ストライキは労働者が声を上げ、待遇改善を求める民主主義の手段でもある。ロンドンのストライキを観察することは、労働と公共サービスのあり方を考えるうえで、私たちに多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。

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