
――短く、確実に、リセットする。そんな旅のかたちがいま、静かに支持を集めている。
「7月末?高いってわかってるけど、しょうがないのよ」。
ロンドン在住のITコンサルタント、キャサリン(42歳)は、スマホのフライトアプリをスクロールしながら、そう言ってため息をついた。彼女が予約したのは、家族4人でのスペイン・マヨルカ島4泊5日の旅行。合計費用は4000ポンドを超えた。
それでも、「行かないという選択肢はない」という。なぜなら「休めるタイミングが、そこしかない」からだ。
多忙すぎて「休暇消化できない」イギリスの現実
意外に思われるかもしれないが、イギリスでは日本と同様、“休みを取れない人”が多数派になりつつある。最近の調査では、年間の有給休暇をすべて消化できない人が全体の45%に上る。しかもその理由の1位は「忙しすぎて休めないから」という、ある種の“身も蓋もない”回答だ。
さらに注目すべきは、高収入層になればなるほど「休暇中も仕事をしている」傾向が強まることだ。年収7万ポンド以上の層では、休暇中も平均で2.5日ほどは「仕事モード」に戻っているというデータもある。メールをチェックし、Zoomに顔を出し、Slackにリアクションを返す。もはや「完全なバカンス」は、幻想になりつつあるのかもしれない。
そんな中でイギリス人たちはどうしているかというと、数日間の“ミニ・ブレイク”を何度かに分けて取るスタイルが主流になりつつある。
なぜ“あえて高い時期”を狙うのか?
「ピークシーズン=高くて混雑」というのは万国共通の認識だろう。にもかかわらず、イギリスでは学校のハーフターム(中間休暇)や夏休みといった“価格が跳ね上がる時期”に、あえて旅行をぶつけてくる家族が少なくない。
その理由は単純明快。子どもの学校スケジュールと、大人の仕事の都合を合わせられる「数少ない時期」だからだ。価格は高くても、確実に休みが取れるこの時期を逃すと、そもそも「旅行に行けない」可能性すらある。
ある意味では、これは自衛でもある。忙しすぎて心身がすり減る日々の中で、「この週だけは絶対に旅に出る」というスケジュールを、高い費用という“罰金”を払ってでも死守する。それがいまのイギリス人のリアルなバケーション事情なのだ。
2025年の夏、遠出が難しい“もうひとつの理由”
ただし、2025年の夏に関しては、もうひとつ注意すべき事情がある。それが地政学的なリスクだ。
6月13日、イスラエルがイランの核施設を含む複数の目標を空爆する「Rising Lion」作戦を決行。これに応じてイラン側も、ミサイルや無人機による報復攻撃を行った。結果的に、ヨルダン、イラク、シリアといった中東の空域が閉鎖され、民間航空の運行に大きな影響が出ている。
たとえば、イギリスからエジプトやドバイへ向かうルートは大幅な迂回が必要になり、航空燃料の高騰やフライト時間の延長、キャンセルのリスクなど、旅行者にとって不確定要素が増している。
現状、スペインやギリシャ、イタリアといった地中海直行便がある地域は比較的安全圏だが、中東に近いエジプトの一部地域では、外務省が旅行者向けの注意喚起を強化している。
つまり2025年の夏は、“遠くて安い”選択肢が使いにくくなっている。それゆえに、イギリス人たちは今、より慎重に旅先を選び始めているのだ。
トレンドは「近くて、安全、短い旅」
こうした状況を受け、旅行者たちの選択にも変化が見られる。最新のYouGov調査によれば、2025年夏に行きたい旅行先ランキングは以下の通り:
- スペイン:15.9%
- イギリス国内旅行:14.3%
- イタリア・ギリシャ:各9.3%
このデータから見えてくるのは、「飛ばないで済む」国内旅行と、「直行便で行ける近場の欧州」への支持が強まっていることだ。特に人気なのが、コーンウォールや湖水地方といった自然景観の美しい地方。スペインにしても、いわゆる“観光地”ではなく、人混みを避けられる北部エリアなどが注目を集めている。
また、宿泊施設についても「安心・柔軟」がキーワードになりつつある。
- キャンセル無料のホテル
- 柔軟な保険オプション付きのパッケージツアー
- オンサイト型のオールインクルーシブ(ホテル内完結型)
などが人気を集めており、“何かあっても予定を変えやすい旅”が求められているのだ。
「短期でも、旅は必要」――リセットの重要性
2025年夏のイギリス人旅行の最大の特徴は、“短くてもいいから、確実にリセットする”という強い意志だ。たとえ2泊3日でも、3泊4日でも、忙しい日常を脱出し、自分自身と家族との時間を再確認する。それが、現代の英国社会におけるバケーションの役割なのだ。
航空券が高い?それでも行く。
ホテルが混む?だからこそ早く押さえる。
遠出が不安?なら近くを攻める。
こうした思考の変化は、パンデミックや戦争を経た現代人にとって、むしろ“自然な適応”とすら言える。
まとめ:2025年の夏休みキーワード
キーワード | 内容 |
---|---|
短期・ミニ休暇 | 多忙な労働環境と子どものスケジュールに対応。2〜4日の小旅行が主流に |
安全・安心 | 中東を避け、地中海直行ルートや国内旅へシフト。保険・キャンセル対応も重視 |
柔軟性 | 天候や社会情勢に左右されにくい予約・宿泊・移動手段が好まれる |
近距離志向 | コーンウォールやスペイン北部など、“穴場の風景地”への注目が上昇 |
忙しさに追われ、まとまった休みを取るのが難しくなった時代。そんな中でも、人はやはり旅を求める。景色を変え、日常から一歩引いて、少しだけ呼吸を整える。たった3日間でも、人はリセットできるのだ。
この夏、イギリス人たちが選ぶ旅は、もはや「ラグジュアリー」や「非日常」ではない。“いまの私たちにできる、最良の旅”である。そしてそれは、世界中の私たちにとっても、大いにヒントになる選択なのかもしれない。
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