日本だけの話ではない政治の構図
野党が与党の揚げ足をとる。
この光景を見ると、「日本の政治は本当にレベルが低い」と感じる人も多いと思います。
しかし、こうした構図は日本だけに限った話ではありません。
イギリスでも、政治の世界は決してきれいごとだけでは動いておらず、相手の失点を突いて自分たちの立場を有利に見せようとする場面は少なくありません。実際、イギリスの議会政治は歴史的に対立型(adversarial)の性格が強いと説明されています。
相手を下げることで、自分が上に立ったように見せる世界
本来、政治は国を良くするためにあるものです。
与党には国を動かす責任があり、野党にはそれを正しく監視し、必要なら修正を求める役割があります。
けれど現実には、「より良い提案をすること」よりも、「相手のミスを責めること」のほうが前に出てしまうことがあります。
その結果、議論の中心が国民生活ではなく、政党同士の勝ち負けになってしまう。
まるで、相手を下げることで自分が上に立ったような空気をつくること自体が目的になっているように見えることもあります。
それでは国は良くならない
こうした政治が続いても、国が劇的に良くなることはありません。
なぜなら、足の引っ張り合いに多くの時間とエネルギーが使われてしまい、本当に議論すべき問題が後回しになるからです。
経済、教育、医療、子育て、治安、老後の不安。
国民が本当に気にしているのは、こうした生活に直結する問題のはずです。
それなのに、政治の現場で目立つのが「誰が失言した」「誰の説明が足りない」「どちらが印象で勝ったか」といった話ばかりでは、国民の気持ちは置き去りになります。
政治が国民のためのものではなく、政治家同士の競争の場に見えてしまうのも無理はありません。
国民が幸せになれない理由
国民が求めているのは、完璧な政治家ではありません。
多少不器用でも、現実を前に進めてくれる政治です。
けれど、相手の失敗を待ち、そこを責め、少しでも支持率で有利に立とうとする姿ばかりが目立てば、国民は政治に期待しなくなります。
そして期待されなくなった政治は、さらに国民から遠いものになっていきます。
その悪循環の中で、暮らしはなかなか良くならず、将来への不安も消えない。
結果として、国民が「この国で生きていて良かった」と感じにくくなってしまうのです。
監視は必要。でも、それだけでは足りない
もちろん、野党が与党を厳しくチェックすること自体は必要です。
それがなければ権力の暴走を止められませんし、議会の意味も薄れてしまいます。イギリスでも野党には政府を監視し、代替となる政権の担い手として機能する役割があります。
ただ、問題はそのやり方です。
監視のための批判ではなく、批判のための批判になってしまえば、国民にはただの足の引っ張り合いにしか見えません。
本当に必要なのは、相手の問題点を指摘したうえで、「では自分たちはどうするのか」を示すことです。
そこまであって初めて、政治は前向きなものになります。
政治が変わらなければ、国民の気持ちも変わらない
日本だけではない。
イギリスでも、政治の世界には対立、牽制、足の引っ張り合いがあります。
けれど、それが当たり前だからといって、仕方ないで済ませていい話でもありません。
相手を下げることに力を使う政治では、国はなかなか良くならない。
そして、そのしわ寄せを受けるのは、いつも普通に暮らしている国民です。
政治家が本当に向き合うべきなのは、政敵ではなく国民の生活のはずです。
その基本を忘れたままでは、どれだけ政権が入れ替わっても、国民が幸せを実感できる社会にはなかなか近づけないのではないでしょうか。










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