「慰謝料クイーン」は現代の魔女か、それとも制度の申し子か──イギリス離婚制度の裏側に迫る

「結婚は人生最大の投資」──もしも、あなたがロンドンの高級タウンハウスに住む40代の女性たちにそう言われたとしたら、皮肉でも冗談でもなく、本気の投資理論として受け取るべきかもしれない。

近年、イギリスの上流階級を中心に、離婚を重ね、慰謝料や資産分与によって莫大な富を築き上げる女性たちの存在が注目を集めている。メディアは彼女たちを「慰謝料クイーン(Divorce Queen)」と名づけ、その生き様はスキャンダラスに、そしてしばしば羨望を込めて語られる。

だが果たして、彼女たちは本当に“金の亡者”なのだろうか? あるいは、“制度に選ばれた勝者”なのか?


■「慰謝料は権利である」──制度が支える“計算された自由”

イギリスの離婚制度は、世界でも屈指の“寛大”なシステムとして知られている。特に注目されるのは次の2点だ。

  1. 財産分与の原則が「公平分配」であること
    結婚期間中に築かれた資産は、原則として50:50で分配される。名義や稼ぎ手の違いは、必ずしも分与の理由にならない。
  2. 生活水準維持のための長期的扶養
    離婚後も、「結婚中と同等の生活水準を維持できるように」との観点から、元夫(あるいは元妻)が数年、時に一生にわたって生活費を支払うケースがある。

これらのルールは、かつて専業主婦の地位が弱く、経済的に夫に依存せざるを得なかった時代において、“女性の保護”という視点から確立されたものだ。

しかし現代においては、必ずしもそう単純ではない。


■高額離婚の現実:数字で見る“愛の終着点”

実際、イギリスでは高額慰謝料のニュースが年に数回、国際的にも報道されている。

  • アクメドワ vs. フェルクソン(2016年)
    ロシア人オリガルヒ、フェルクソン氏との離婚裁判で、元妻タチアナは**4億5300万ポンド(約650億円)**の支払いを勝ち取った。婚姻期間はわずか20年。資産の半分以上を手にしたこの判決は、「世界一高い離婚」として記録されている。
  • ミルズ vs. ミルズ(2018年)
    元妻が慰謝料の浪費をしたにもかかわらず、再び元夫に生活費の増額を要求。最高裁まで争われたこのケースでは、「扶養義務の持続性」が議論を呼んだ。
  • ポール・マッカートニー vs. ヘザー・ミルズ(2008年)
    元ビートルズのマッカートニーは、わずか4年の結婚生活で**2480万ポンド(約36億円)**を支払う判決に。報道では、彼女の主張額の約1/3にとどまったが、それでも十分に巨額だった。

これらのケースに共通するのは、「短期間の結婚でも巨額の分与が可能」であるという制度的構造だ。


■制度の“裏”を読む者たち──「慰謝料でキャリアを積む女」

「慰謝料でキャリアを積む女」──そう聞くとどこか悪意ある響きを感じるかもしれない。しかし、これは必ずしも非難だけで語れる話ではない。

実際、富裕層の中には、戦略的に資産家との結婚を繰り返す女性たちが存在する。

ある女性(仮名・M氏)は、25歳で年上の投資家と結婚。4年後に離婚し、約600万ポンドの財産を得る。続いて大手製薬会社のCEOと再婚し、7年後に離婚。その時点で不動産を複数所有、弁護士と会計士を常駐させるほどの資産管理能力を手にした。現在、彼女は「離婚アドバイザー」として活動しているという。

こうした女性たちは、婚姻のリスクと報酬を冷静に見極め、法律と経済を武器に人生を“設計”している。果たして、これは狡猾なのか、それとも知的なのか。


■男性側の自己防衛──「婚前契約」が無力な現実

こうした事態に対して、富裕層男性の間では婚前契約(Prenuptial Agreement)を交わす動きが進んでいる。だがイギリスでは、婚前契約は法的拘束力が必ずしも強くない

裁判所は「夫婦の事情」や「子の福祉」を優先し、契約内容を“再評価”する権限を持つ。つまり、契約しても安心とは限らないのである。

ある弁護士は語る。

「離婚裁判に入った瞬間、合理性よりも“情”が強くなる。契約よりも“裁判官の感覚”が結果を左右する国、それがイギリスなんです」


■結婚観の変容と、未来の再設計

イギリスにおいて、離婚率はおよそ42%(2023年統計)。さらに初婚年齢の上昇、同棲や事実婚の増加など、結婚そのものの形が多様化している。

今、イギリス社会が抱える本質的な問題は、**「愛と財産の境界線があいまい」**であるという点にある。

果たして結婚とは何なのか。制度が変わるべきなのか、それとも私たちの意識が変わるべきなのか。

「慰謝料クイーン」はその問いを、極端なかたちで私たちに突きつけているのかもしれない。


■結びに代えて──“制度の鏡”としての悪女

「悪女」とは、時代が定義する幻想にすぎない。
愛を貫く女性もいれば、愛の後に残る帳簿を冷静に読む女性もいる。
ただ一つ確かなのは、制度がそれを許す限り、
“慰謝料で築く人生”は、批判ではなく選択肢として生き続けるということだ。

その是非を問う前に──私たちはまず、その制度の形を、改めて見つめ直す必要があるのではないだろうか。

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