イギリス人の美学が、日本人には「一生理解できない」と感じられる理由

古びたれんがの家。使い込まれて色の変わった革の椅子。柄のそろっていない食器。枝が自由に伸び、花が重なり合う庭。

こうした風景を見て、「味があって美しい」と感じる人もいれば、「そろそろ全部きれいにしたらいいのに」と思う人もいる。同じ物を見ているのに、評価が正反対になる。

イギリスの美学が日本人には分からない、と感じられる理由は、この食い違いにある。ここでいう「一生理解できない」とは、理解する能力がないという意味ではない。自分の育った環境で覚えた美しさの基準を動かさなければ、何十年眺めても、その魅力が見えてこないということだ。

もちろん、英国にも新品や統一されたインテリアを好む人はいる。本稿では、主にイングランドの庭園や伝統的な住まい、服飾に表れる美意識を手がかりに、その隔たりを考えたい。

傷のない床、均一な壁、同じシリーズでそろえた家具。モデルルームのような完成度を理想とする目には、古い家に残った傷や家具の不ぞろいは、解消すべき欠点に見える。ところが、そこに暮らしてきた人の時間を重ねて見ると、評価は変わる。

机の表面についた小さな跡は、誰かが毎日そこを使っていた証拠になる。少し色の違う椅子は、家族が必要に応じて買い足してきた歴史になる。すべてを新品に交換すれば見た目は整うが、その家だけが持っていた手掛かりも消える。

この見方からすれば、住まいは購入した瞬間に完成する商品ではない。住みながら、選びながら、少しずつその人のものになっていく場所だ。完成品のような室内を求める人と、暮らしが積み重なった室内を好む人では、同じ改装を見ても、一方は「良くなった」と感じ、もう一方は「魅力が消えた」と感じるだろう。

庭を見ると、この違いはさらに分かりやすい。

英国の風景式庭園を代表する18世紀の造園家、ケイパビリティ・ブラウンは、自然に見える景観を設計した。曲がりくねった湖や木々の配置に加え、家からは見えにくい位置に境界を設け、庭とその先の牧草地が一続きに見えるようにする仕掛けも使われている。National Trust

つまり、自然に見えること自体が、手をかけて生み出した成果なのである。

その設計を知らずに眺めれば、ただの草地や池に見えるかもしれない。しかし、どこに立つと何が見え、歩くにつれて景色がどう変わるかまで考えられていると分かれば、目の前の風景は違って見える。整えるために費やした労力を、整然とした形で見せるとは限らない。そこが、この美学の読み取りにくさだ。

しかも、こうした庭園の美しさには、社会的な背景もある。ナショナル・トラストは、英国庭園の歴史には政治的な意味があり、ブラウンの牧歌的な庭園にも、当時の土地所有階級が理想とした洗練が表れていたと説明している。National Trust

ここから考えられるのは、美しい物を買えることと、美しい環境を長く受け継げることでは、示せるものが違うということだ。新しい家具はお金があれば手に入る。しかし、家族が何十年も使い続けてきた家具と、それにまつわる記憶は、同じ方法では買えない。

古さを好む趣味を、単なる節約や素朴さだけで説明すると、この部分を見落とす。受け継いだ物を大切にする姿勢には温かさがある一方、受け継げる物を持つ人の余裕もある。「控えめで上品」という評価の背後に、どんな暮らしや歴史があるのかまで見なければ、表面だけをまねることになる。

服装にも、似た読み取りにくさがある。伝統を守っているのか、ふざけているのか、初めて見ただけでは判断しづらい装いだ。

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、その分かりやすい例である。V&Aによれば、彼女はパンクの時代から歴史的な服飾を参照し、伝統的な仕立てやタータン、ハリスツイードを独自に使い直していた。過去の服を研究し、その形や意味を変えることで、新しい表現を作ったのである。V&A

元になった服を知らなければ、奇抜な形だけが目に入る。知っていれば、何を誇張し、どこをずらし、どんな常識をからかっているのかが見えてくる。美しさを感じる前に、その冗談を読むための知識が必要になることもある。

ただ、日本人には古さや不完全さを愛する感覚がない、と言えば、それも違う。日本には侘び寂びがある。ジャパン・ハウス ロンドンも、簡素さや不完全さに見いだす美と、時間の経過が生む静かな趣を、その説明に挙げている。Japan House London

苔むした石や使い込まれた器に魅力を感じる人が、英国の古い家具だけを理解できないとすれば、問題は古さそのものではない。何を残せば趣になり、どこまで変化すると手入れ不足になるのか。その判断の境目を、別の場所に置いているのだろう。

日本庭園の枝ぶりには意図を読み取れても、英国庭園の草花の重なりには意図を見いだせない。日本の古民家には歴史を感じても、英国の古い家では不便さが先に気になる。逆の反応をするイギリス人もいるはずだ。見慣れた美しさについては、その成立に必要な知識を、気付かないうちに身につけている。

そして、理解できることと、好きになることも別である。古い椅子の来歴を知っても、自分は新しい椅子に座りたい。それで矛盾はない。手入れの行き届かない家を、無理に「味がある」と褒める必要もない。

イギリスの美学を「一生理解できない」と感じる状態は、自分なら取り替える物を、相手がなぜ残したいのか、その理由が見えない状態なのだ。

新しくすれば消せる傷に、消したら二度と戻らない時間を見る。その視線に触れたとき、古びた家や不ぞろいの家具は、ようやく別の表情を見せ始める。

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