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イギリスの報道機関は、ニュースの取り扱い方において一定のパターンを持っている。それは「白人が被害者の場合、大々的に報道され、有色人種の場合は極力小さく扱う、もしくは完全にスルーする」というものだ。この選択的報道は、まるで「報道価値の色分け」とでも言わんばかりに、露骨な傾向を示している。
白人が殺された場合:「全国ニュース」の価値
ある日、ロンドンの裕福な白人男性が通りで刺殺されたとしよう。このニュースは、即座にBBCのトップニュースになり、「社会に衝撃を与える事件」として扱われる。記者たちは被害者の家族に直撃し、涙ながらに「彼はどれほど素晴らしい人物だったか」を語るインタビューが流される。地元住民は「こんなことがここで起こるなんて信じられない」と嘆き、政治家は「市民の安全を守るために何かしなければならない」と熱弁を振るう。まるで映画のワンシーンのような感動的なストーリーが展開される。
そして当然ながら、犯人が有色人種だった場合は、事件は単なる暴力事件以上の意味を持ち、「移民による犯罪」という文脈で語られることが多い。「なぜこのような暴力的な人々を我々の社会に受け入れてしまったのか?」という論調が出てきて、「移民政策の見直し」まで議論される。イギリスの保守系タブロイド紙が喜び勇んで「英国の価値観が脅かされている!」と叫ぶのはもはやお決まりの流れだ。
有色人種が殺された場合:「統計のひとつ」
さて、同じ日にロンドンの別の地区で、黒人やアジア系の若者が殺害されたとしよう。この事件について、主要メディアがどう報じるか見てみよう。
まず、報道の優先順位は極めて低い。「ギャングの抗争か?」という軽い調査が行われた後、記事の片隅に数行だけ書かれ、それで終わりである。もしくは、ニュースサイトの「ロンドン地域ニュース」のコーナーに埋もれ、決してトップニュースにはならない。被害者がどのような人物であったのか、その家族の悲しみはどうか、という点にはほとんど触れられない。
さらに、警察の対応も明らかに異なる。白人の被害者の場合は、警察がすぐに特別捜査班を設置し、迅速な対応を行うが、有色人種の被害者の場合は「調査中」のまま何週間も放置されることが少なくない。結果的に「未解決事件」として処理され、遺族は泣き寝入りするしかない。
報道の基準は「共感度」?
なぜこのような差が生じるのか? イギリスのメディアの基準を探ってみると、そこには「共感度」という暗黙の尺度が存在しているようだ。
例えば、白人の被害者がいた場合、読者(多くが白人)は「自分たちの仲間が被害に遭った」と感じ、感情的に共感しやすい。一方で、有色人種の被害者がニュースに出ても「遠い世界の話」のように扱われ、「またか」と無関心に流されてしまう。この無意識のバイアスが、報道の優先順位を決定している。
また、メディアの編集部が抱える無自覚な偏見も影響している。イギリスの主要メディアの編集チームは依然として圧倒的に白人が占めており、多様性が欠如している。そのため、「誰がニュースにふさわしいか?」という判断をするときに、自然と白人中心の価値観が反映される。
メディアの言い訳:「報道の需要がない」
イギリスのメディアは「報道には需要があるかどうかが重要だ」と主張する。つまり「白人の被害者のニュースには多くの人が関心を持つが、有色人種の被害者には関心が薄い」という言い訳を使う。しかし、この論理には大きな問題がある。
そもそも、報道が何を「重要なニュース」とするかは、メディア側の判断にかかっている。もしメディアが有色人種の被害者についてもっと詳細に報道し、社会の問題として取り上げれば、関心は自然と高まるはずだ。しかし、現在のメディアの姿勢は「関心がないから報道しない」ではなく、「報道しないから関心が生まれない」という悪循環を生んでいる。
皮肉な結末:人種が逆転した場合
もしも逆の状況が起きたらどうなるか? 例えば、裕福な白人の若者がギャングの抗争に巻き込まれて死亡したら? おそらく、その事件は映画化されるレベルの「悲劇」として語られ、「この国の闇を照らす物語」になるだろう。
一方で、黒人の青年が富裕層の白人に殺害された場合、そのニュースはどれほど大きく報道されるだろうか? 一時的には話題になるかもしれないが、すぐに忘れ去られる可能性が高い。
結論:報道の公平性は幻想
イギリスのメディアが「公正な報道」を掲げるのは、もはやジョークにしか聞こえない。現実には、人種によって報道の温度差がはっきりと存在し、それが社会の意識に影響を与えている。メディアの力は大きく、それがどのように情報を扱うかによって、社会の認識も変わる。
公平な報道とは、「全ての人間の命に等しい価値がある」という原則のもとに成り立つべきだ。しかし、イギリスのメディアは今もなお、「ニュースとして価値のある命」と「そうでない命」を選別し続けている。この現実を変えるためには、メディアのあり方自体を根本から見直す必要がある。
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