
序章:政治不信が広がるイギリス社会
近年のイギリスでは、政治に対する市民の不信感がかつてないほど高まっている。かつては民主主義国家の「模範」とされたイギリス政治も、スキャンダルや相次ぐ政策の揺れを経て、国民の信頼を大きく失いつつある。2024年および2025年に実施された社会調査では、国民の約8割が「自国の統治に満足していない」と回答し、さらに「政治家は真実を語らない」と考える層が過半数を大きく超えている。
この不信感の背景には、パンデミック期の「Partygate」スキャンダルをはじめとする政治家の不祥事、生活実感とかけ離れた政策運営、そして経済的格差の拡大がある。国民の間では「どうせ誰が政権をとっても同じ」という諦めにも似た感覚が広がり、投票率の低下や政治的無関心の拡大に拍車をかけている。
スターマー政権の増税政策:公約と現実の乖離
2024年7月、労働党のキア・スターマーが首相に就任し、新たな政権が誕生した。選挙戦では「所得税・従業員の国民保険料・付加価値税(VAT)は引き上げない」という公約を掲げていたが、実際には別の形で国民負担を増やす政策が相次いで実行されている。
実施された主な増税措置
- 雇用主の国民保険料引き上げ:2025年4月から、年5,000ポンドを超える給与に対して雇用主負担率を15%に引き上げ。
- キャピタルゲイン税の増税:低率帯は10%から18%、高率帯は20%から24%へと引き上げ。
- 相続税の改正:農地・農業資産のうち100万ポンドを超える部分には20%課税(2026年4月から)。さらに基礎控除額を2030年まで据え置き、インフレを踏まえると実質的増税となる。
- 私立学校の授業料への20% VAT:2025年1月から導入。
- エネルギー業界への超過利益課税(Windfall Tax):石油・ガス企業の税率を引き上げ、2030年まで延長。
これらの施策は、財政健全化や公共サービス強化を目的としているが、同時に国民の生活に直接的な負担を与えている。特に中間層や地方の有権者からは「公約違反」「結局は増税」との批判が強まっている。
アンジェラ・レイナー副首相の税務問題と政治への影響
さらに、スターマー政権の副首相であるアンジェラ・レイナーの税務問題が政治不信を一層加速させた。彼女は2025年に購入した高額住宅に関し、セカンドホーム扱いによるスタンプ税の追加課税を免れていたことが発覚し、約4万ポンドの過少申告が指摘された。レイナー自身は「専門家の助言に基づく判断」と釈明し、後に自主的に倫理委員会への調査を依頼したが、野党からは辞任を求める声が上がり続けている。
この事件は単なる納税問題にとどまらず、「庶民の代表」を標榜してきた彼女のイメージを大きく損ない、労働党全体の信頼性にも影響を与えた。
国民感情:政治家は「真実を語らない」
イギリス社会研究センター(NatCen)の調査によると、国民の大多数が「政治家は真実を語らない」と考えており、その傾向は若年層だけでなく全世代に広がっている。特に生活苦に直面する層ほど、政治家への不信感が強い。エネルギー料金や住宅費の高騰に直面する家庭は、「政治家は現実を理解していない」「国民の声を無視している」と感じている。
同時に、政治的アパシー(無関心)も深刻化している。多くの市民が「選挙で誰に投票しても変わらない」と考え、政治参加そのものを放棄しつつある。これは民主主義の根幹を揺るがす問題であり、制度の正当性を危うくする危険性を孕んでいる。
社会の分断とコミュニティの断裂
不信感の拡大は、社会の分断とも結びついている。人々は異なる価値観や背景を持つ人々と交わる機会を失い、似た考えの仲間とだけつながる傾向を強めている。その結果、社会的な対話が失われ、政治への不信感がさらに固定化されていく。2025年には暴動や社会不安も報告され、「社会が火薬庫のように不安定化している」との警告も出されている。
信頼回復の模索と限界
労働党政権は透明性の向上や説明責任を強調しているが、現実には増税やスキャンダル対応の影響で信頼回復は進んでいない。むしろ「誰が政権をとっても同じ」というシニシズムが広がり、制度そのものへの疑念へと変わりつつある。
また、選挙制度改革を求める声も高まっており、比例代表制など少数派の声が届きやすい仕組みへの移行を支持する国民が増えている。しかし、現行制度を維持したい与党の思惑もあり、改革の実現性は不透明である。
イギリスから日本へのアドバイス
私はイギリスに住み、日々のニュースや人々の声に触れる中で、政治に対する不信感がどれほど深刻かを実感している。日本の皆さんに伝えたいのは、政治に興味を持つこと自体はとても大切だが、時間をかけて制度や政策を学んだ末に直面するのは「誰が政権をとっても結果は大きく変わらない」という現実だということだ。
だからこそ、失望して無関心になるのではなく、もっと違う角度から世の中を変えようとする姿勢を持ってほしい。地域社会での活動、草の根的な市民運動、生活に直結する分野での協働やイノベーションなど、政治以外の領域で社会を前進させる方法はいくらでもある。制度や権力構造に頼るのではなく、自分たちの手で未来を形づくる意志こそが、これからの日本に求められる力ではないだろうか。
結語
イギリスで広がる政治不信は、単なる「他国の出来事」ではなく、民主主義国家が抱える共通の課題を映し出している。日本人が政治に関心を持つことはもちろん重要だ。しかし、長い時間をかけて政治を学んだ末に「誰が政権を握っても大差はない」という現実を理解し、そこからさらに一歩進んで、政治以外の角度から社会を変える発想と行動力を持つことこそ、これからの時代に求められる姿勢である。
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