フランスで抗議デモが激化するなか、政権幹部の対応が、危機を収める側の混乱を映し出している。ローラン・ヌニェス内相が辞意を示し、マクロン大統領がこれを拒否。その後、セバスチャン・ルコルニュ首相は、県知事らに地域を限定した外出禁止措置の導入を要請した。辞意を示した人物と、外出禁止措置を要請した人物は別である。ABC News
しかし、役職を正確に整理しても、政治への疑問は消えない。街で混乱が広がった後に、国民に見えてきたのは、幹部の進退と行動制限をめぐる対応だった。生活への不満に対して何を変えるのか。その答えより、誰が辞めるのか、誰を残すのかという話が前面に出れば、政権への不信は深まる。
ヌニェス内相は、自らに責任があるとして辞意を示した。大統領府は、治安部隊の指揮を継続する必要性を理由に慰留したと説明している。本人の内心が「責任逃れ」だったと断定することはできない。それでも、被害を受けた市民からすれば、辞意の表明だけで何が解決するのかという思いは残るだろう。ABC News
責任を取るというなら、まず何を見誤り、どの判断が被害を拡大させ、次にどう防ぐのかを明らかにする必要がある。辞めるにしても、続けるにしても、その説明は欠かせない。進退のやり取りが説明の代わりになるなら、国民には責任を処理するための儀式としか映らない。
今回の外出禁止措置についても、正確さは必要だ。首相が求めたのは部分的、局地的な措置であり、フランス全土への一律の外出禁止命令ではない。ロイターによると、パリ全域への外出禁止も否定している。「辞表を拒否された首相が、やけくそで全国民に外出禁止を命じた」という出来事ではない。Reuters
それでも、ここには強烈な皮肉がある。
政府が「外に出るな」と言っただけで全員が家に戻り、怒りも消える社会なら、事態はここまで深刻になっていなかっただろう。
外出を制限する命令は出せる。しかし、その命令に従ってもらうための信頼まで、同時に発令することはできない。
もちろん、外出禁止措置には、夜間の混乱を抑え、住民や商店を守るという目的がある。その効果は実際の運用によって判断すべきだ。問題は、街の人出を抑えることと、人々が街に出る理由を解消することを、政府がどこまで同時に進められるかである。
今回の抗議には、生活費の上昇や学校の環境への不満がある。ル・モンドは、マクロン氏が18日の演説で抗議者の不安に理解を示しながら、訴えられた問題への具体策を示さなかったと報じた。これでは、生活の問題を訴えた側に、政府から返ってきたのは治安の話ばかりだという印象を与えかねない。lemonde.fr
家計が苦しい人にとって、必要なのは今後の暮らしの見通しだ。教育への不満を抱く若者にとって、必要なのは何がいつ改善されるかという答えである。そこに十分な説明がないまま制限だけが目立てば、「こちらの話を聞かず、行動だけを抑えようとしている」と受け取られても不思議ではない。
略奪や放火によって店や住民が被害を受けることは、抗議の正当性では説明できない。被害者を守る責務は政府にある。同時に、暴力への非難だけで、平和的に抗議する人々の生活不安まで片づけることもできない。治安を回復する仕事と、不満に政策で応える仕事は、どちらも政権が引き受けるべきものだ。
辞意を示したから責任を果たした、慰留したから指導力を示した、外出禁止措置を求めたから危機を制御した――そんな自己評価が先行するなら、首脳部の対応は恥ずべき迷走と批判されても仕方がない。評価を決めるのは、政府の発表の強さではなく、市民の安全と暮らしが実際に改善したかどうかである。
国民に自制を求めるなら、政治の側も判断の誤りを説明し、改善策を示す必要がある。指導者が自らの責任を十分に語らず、国民に守るべきルールだけを増やしていけば、政治との距離は広がる。
「外に出るな」という命令で街が一時的に静かになっても、それだけで国民の納得は戻らない。辞任と慰留をめぐるやり取りの先に、何を変えるのかが見えない。そうした政治への抗議が起きることには、十分に理解できる理由がある。










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