第三次世界大戦がもし起きたら?——英国人が語る「静かな恐怖」と「皮肉な覚悟」

執筆者:オリバー・ジェンキンス|2025年6月号 コモン・タイムズ(翻訳:ChatGPT)

「もし第三次世界大戦が起きたら、イギリスはどうなるのか?」
そんな言葉が、ここ数年で英国のカフェ、パブ、家庭、さらにはSNSの中でも、妙に現実味をもって語られるようになった。

英国人は皮肉を愛する。歴史を自嘲気味に語ることも得意だ。そして、ジョークの奥には本音が潜んでいる。だからこそこの国で語られる「もし戦争が起きたら」という話題は、決して単なるフィクションでも、ただの笑い話でもない。

記憶の中の戦争、そして“次”への恐れ

イギリスという国は、世界大戦の「勝者」として語られることが多い。しかし、勝利の裏には膨大な犠牲と深い傷があった。ロンドンが空襲に晒され、人々が地下鉄に避難した記憶は、いまでも祖父母世代の語り口を通して私たちに届く。

これは、日本の「昭和の戦争体験」に通じるところがあるかもしれない。空襲、食糧難、そして都市の破壊。あれほどのことは二度と起こってほしくない——英国人も日本人も、その点では同じ思いを抱いている。

ただ、現代の英国人にとって戦争とは、かつてのような「兵士が銃を持って進軍する」ものではない。むしろ、「電力が止まり、ネットが遮断され、ドローンが飛び交い、情報が操作される世界」であるという認識の方が強くなっている。

ミームとジョークに隠された若者たちの不安

今の若い世代、特にZ世代は「戦争」の現実を知らない。だがSNS上では、“World War III”というワードがトレンド入りするたびに、彼らはミームを作り、皮肉をこめてそれを拡散する。

たとえば、ある若者はこう投稿した。

「徴兵されたらまずダンスのTikTok動画を投稿して、敵国に“あいつは使えない”と思わせる。」

ジョークだが、本気でもある。つまり、「戦争なんて馬鹿げているし、自分はそれに巻き込まれたくない」という明確な拒否の意思表示だ。戦争に対して怒りではなく“距離”で抗おうとするこの姿勢は、日本の若者の姿ともどこか重なる。

「巻き込まれること」への静かな覚悟

英国はNATOの一員であり、アメリカとの同盟関係も深い。もしも世界規模の戦争が勃発すれば、地理的には遠くても「無関係」でいられることはまずない。それが、国民の中に“見えない緊張感”を生んでいる。

たとえば、2024年の終わり頃から、ロンドンの一部の家庭では備蓄ブームが静かに広がっている。水、缶詰、電池、携帯発電機、そしてラジオ。かつての「コロナ禍」の買い占めに似た雰囲気が、一部の市民に再来しているのだ。

イギリス人は口には出さないが、「何かが起きるかもしれない」という感覚を確実に抱いている。

政治家たちの冷静さ、そして国民の疑念

英国政府は常に冷静だ。対外的には「外交的解決を重視する」と言い、国内には「十分な備えがある」と語る。しかし、国民の中には「政治家たちが本当のことを話していないのでは?」という疑念も根強い。

実際に、イギリス国内でも「徴兵制度の復活」が噂され始めた時期があった。公式には否定されているが、その否定が逆に人々の不安を掻き立てた。日本でも同様に、憲法改正や自衛隊の在り方が議論されるたび、国民のあいだに複雑な感情が広がる。それは、どこか似ている構図だ。

「日常」を守るためのユーモア

それでも、イギリス人は日常を手放さない。悪天候の日にも紅茶を飲み、ニュースにうんざりしながらも、夜には家族とドラマを観て笑う。ブラックジョークも、戦争の話題も、笑いに変えて生きていく。

かつての戦争体験を乗り越えたこの国の人々には、「あらがう」というより「受け流す」力がある。それは、日本人の「我慢」や「耐える」文化と、どこかでつながっている気がしてならない。

おわりに

「もし第三次世界大戦が起きたら?」

イギリス人はこの問いに、冗談半分、真顔半分でこう答えるかもしれない。

「起きないでくれと祈るしかないよ。で、それまでは——ちゃんとミルクを入れた紅茶でも飲もう。」

そのユーモアと諦観の混じった返事こそ、今の時代を生きる我々全員の気持ちの縮図なのかもしれない。

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