元総理暗殺事件をめぐる心理と断罪
イギリスでも報道された、元総理大臣を殺害した犯人に下された判決。
犯罪心理学の先進国であるイギリスでは、犯罪者の心理分析は驚くほど精密に行われる。
では、安倍元総理を殺害した犯人の真の目的は何だったのか。
おそらく、容疑者の名前は今後少なくとも50年は、歴史的な人物として語り継がれるだろう。
それこそが、彼の狙いだったのではないか。
この事件はいずれ映画になる。
ほぼ間違いなく、だ。
手がけるのはネットフリックスだろう。
一般の映画会社には、この題材を正面から描く勇気はない。
なぜか。
映画の中で容疑者は、英雄として描かれるのか。
それとも、ただの凶悪犯として裁かれるのか。
おそらく前者だ。
そして、容疑者はそれを理解していた。
歴史に名前を残すこと。
それが、彼の目的だった。
40を過ぎ、結婚もしていない。
定職もなく、金もない。
恋人もいない。
もしかすると、友人すらいなかったかもしれない。
そんな人間に残された人生とは何だろう。
何をすればいいのか。
答えは一つだ。
「でっかいことをして、歴史に名を残す」。
そのために命を奪われた安倍元総理は、あまりにも哀れだ。
それ以外の感情は、湧いてこない。
容疑者に同情する人が多いとも聞く。
だが、自分の家族が殺されても、同じ言葉を口にできるのだろうか。
安倍元総理は完全な被害者であるにもかかわらず、
統一教会との関係を理由に、どこか悪者のように扱われている。
それは明らかに違う。
政治家が宗教団体と関わるのは、票を得るための現実的な行動だ。
それはどんな政治家もやっていることで、特別に非難されるものではない。
宗教にのめり込んだ容疑者の母親が、ただ弱かっただけだ。
現実を見れば、宗教に依存していない人間の方が圧倒的に多い。
それが事実だ。
宗教に強くのめり込む人間の多くは、精神を病んでいる。
心の病は簡単には治らない。
だが、人は病の進行を止めるために、何かにすがろうとする。
ある者は病院に通い、
ある者は環境を変え、
そして、ある者は宗教を選ぶ。
少数派ではあるが、確かに存在する。
宗教を選ぶ人間は、人生に楽しみを見いだせないことが多い。
何かに没頭したい。
何かにすがりたい。
自分を裏切らない、絶対的な何かが欲しいのだ。
過去に大きな出来事があり、心に深い傷を負ったのだろう。
その傷は癒えず、
やがて膿となり、
静かに、しかし確実に心をむしばんでいった。
容疑者の母親も、同じだったのではないか。
本来なら、心が崩れていく前に前兆はあったはずだ。
だが、誰も気づかなかった。
あるいは、気づいていながら手を差し伸べなかった。
容疑者も、きっとその一人だ。
もっと言わせてもらえば、
容疑者は母親よりも、さらに弱い人間だったのかもしれない。
人を殺すという選択を下し、実行することでしか、
自分の存在意義を見出せなかったのだから。
だからこそ言える。
どんな理由があろうとも、人を殺すことを擁護してはいけない。
正当化してはならない。
アメリカでは、娘をレイプされた父親が、裁判所で容疑者を撃ち殺す事件が時折起こる。
感情として理解できる部分はあるかもしれない。
だが、それでも同じだ。
いかなる理由であれ、人を殺すことは悪である。
それだけは、揺らいではならない。









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