
イギリス、とりわけロンドンには、世界各国からの移民が暮らしている。国際都市としての顔を持つこの街は、多様な民族が共存する一方で、民族ごとの生活の輪郭が浮かび上がる場所でもある。
その中でも、イラン人コミュニティはとりわけ特徴的だ。一見まとまりのある集団に見えるが、内実は極めて二極化している。政治的・宗教的事情により祖国を離れた人々の多くが避難民としてイギリスに渡ったが、その後の歩みは一様ではなかった。イラン人たちの「イギリスでの定住」は、ある者にとっては富と名声をもたらし、また別の者にとっては社会の周縁に留まる生活となった。
上流にのし上がった者たち:ロンドンの「ペルシャ成金」
まず注目すべきは、イギリス社会の中で華やかに成功した一部のイラン人である。彼らは避難民として来た人々の中でも、特に起業精神に富んだ人物が多く、レストラン経営、中古車輸出、不動産投資、ITビジネスなどで大きな成果を挙げた。現在ではチェルシー、ノッティング・ヒル、メイフェアといった超高級エリアに豪邸を構え、英国人富裕層と肩を並べるライフスタイルを送っている。
彼らはロンドンに自社ビルを持ち、子どもたちはプライベートスクールに通わせ、日常会話は英語とペルシャ語のバイリンガル。週末には家族で南フランスへ旅行し、SNSには高級ブランドとビジネスクラスの投稿が並ぶ。こうした「新たな成功者」としての姿は、旧宗主国であったイギリスで富と地位を築き上げた、ある意味での“逆転劇”を体現している。
とはいえ、こうした成功の背後には強烈な努力と苦労もある。ある不動産オーナーのイラン人男性はこう語る。「最初はケバブ屋の裏で皿洗いをしていた。でも自分で店を持ち、それを5店舗に広げ、次に不動産投資に転じた。誰も助けてはくれなかった。自分の力で這い上がった。」
対極にある現実:福祉に依存する「見えない移民」
一方で、同じイラン人コミュニティの中には、まったく異なる人生を歩む人々も少なくない。彼らは渡英後、イギリス政府の庇護のもとで生活を始めたものの、言語の壁や労働市場への参入の難しさから職に就けず、やがて生活保護に依存するようになった。
イギリスの福祉制度は手厚く、難民認定を受けると公共住宅への入居や毎月の現金支給が受けられる。また、健康保険(NHS)や教育支援も無料で提供されるため、「生活は最低限守られる」。しかし、これが逆に「そこに留まることを選ぶ」心理を生んでいるのも事実である。
さらには、現金手渡しの非公式な仕事(いわゆる“ブラックジョブ”)に従事し、税金を払わずに生活を続ける人々もいる。パブの厨房、建設現場、清掃業などで日給制の労働を行いながら、政府の支援も同時に受け取っているという現実もある。
もちろんすべての人が不正をしているわけではない。だが、このような「表に出ない労働市場」と「見えない所得」により、イギリス社会の中で静かに“二重構造”が形成されている。
英語を話さない「イギリス人」
さらに興味深いのは、イギリスに10年、20年と暮らしていながら、英語を一切話せない人たちの存在だ。彼らは日常のほぼすべてをイラン人コミュニティの中で完結させており、スーパーも薬局も学校も、ペルシャ語で通じる範囲で済ませてしまう。
実際、ロンドンの一部エリアでは、ペルシャ語だけで生活が成り立つほどにコミュニティが密集している。結婚もコミュニティ内で行われ、教育も家庭内でペルシャ語を中心に行われる。こうした「内に閉じた定住」の形が、結果としてイギリス社会との接点を極端に狭めている。
ある社会福祉関係者は語る。「20年イギリスに住んでいても英語が話せないというのは、珍しくありません。彼らは別に“悪い”人たちではない。でも、社会に参加することを放棄してしまっているのです。」
“多文化共生”の現実とは
イギリスは「多文化共生」を国家理念のひとつとして掲げているが、その実情は決して理想的な融合ばかりではない。ロンドンのイラン人コミュニティは、その縮図とも言えるだろう。移民が成功する社会である一方で、取り残され、自己完結的な生活にとどまる人々もいる。
どちらも“イギリス人”という同じ市民権を持ちながら、社会参加の度合いも、税金への貢献も、そして言語さえも異なるというこの現実は、移民政策にとっても、社会の統合にとっても、決して無視できない課題である。
イラン人だけではない。他の多くの移民コミュニティにも共通するこの「分断された成功と定住のかたち」は、私たちに問いかけてくる――
「本当の意味での“統合”とは何なのか?」と。
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