イギリスは何を生産しているのか?

輸入依存の国が直面する「自国生産」の壁と可能性

序章:ポスト・ブレグジットの現実

2016年の国民投票を経て、2020年に正式にEU(欧州連合)から離脱したイギリス。EU離脱によって、関税、物流、人材の移動など多くの障壁が生まれた。この一連の変化は、イギリス経済の根幹にある「輸入依存構造」を改めて浮き彫りにし、同時に「自国で何を作れるのか」という問いを突きつけている。

ブレグジットによって期待された「主権の回復」とは、自国で物を作り、コントロールする経済力の再建だった。しかし現実はそれほど単純ではない。この記事では、イギリスが現在自国で何を生産しているのかを検証し、そこから見えてくる先進国における生産力の限界と可能性について深掘りしていく。


第1章:イギリスの生産構造の実態

食料品の生産事情

イギリスは肥沃な土地を持つ国ではあるが、農業の国内生産は総需要の約60%前後を賄うにとどまる。小麦やジャガイモ、乳製品、牛肉、豚肉といったベーシックな品目は自国で生産されているが、フルーツ、野菜、魚介類の多くはEU圏や他の地域からの輸入に依存している。

特に野菜類は、気候の影響もあり冬季の自給率が著しく低い。ブレグジット後は、スペインやオランダなどEUの主要供給元との取引に遅延やコスト上昇が生じ、店頭から一部の商品が消えるという事態も経験した。

電化製品とハイテク製造

テレビ、冷蔵庫、スマートフォンなどの家庭用電化製品の大部分は、アジア(特に中国、韓国、日本)からの輸入に依存している。イギリス国内には電化製品の大規模生産工場は存在せず、ロジスティクスと販売に特化したサプライチェーンが整備されているに過ぎない。

一方で、航空宇宙や軍需、先端医療機器の分野では一定の製造力を保っている。ロールス・ロイス(航空機エンジン部門)やBAEシステムズといった企業は世界的にも競争力を持っており、ここに限って言えば「製造大国」と言っても過言ではない。

自動車産業:もはや「イギリス車」は幻想?

ジャガー・ランドローバー、ミニ、ロータスなどのブランドは「イギリス車」として世界的に認知されているが、その所有構造を見ると現実は異なる。インドのタタ社、ドイツのBMW、中国の吉利汽車など、実質的には外国資本によって運営されている。

さらに部品の多くはEUやアジア諸国からの輸入に依存しており、組立こそ国内で行われていても、サプライチェーンの大半は国外にある。つまり「国産車」とは言い難い。


第2章:なぜイギリスは自国で作れないのか?

労働コストと経済合理性

最大の障害は「コスト」である。先進国では人件費が高く、工場を運営するには莫大なコストがかかる。これは単に賃金の高さだけでなく、労働法、環境規制、社会保障の充実といった要素も関係している。

逆にアジア諸国では労働力が比較的安価であり、製造コストを抑えられる。この「比較優位」によって、グローバル企業はこぞって製造拠点を海外に移してきた。イギリスもこの流れに逆らうことができなかった。

産業空洞化とスキルギャップ

1980年代以降のサッチャー改革により、イギリスは製造業から金融サービス産業への転換を進めた。その結果、工場は閉鎖され、労働者はホワイトカラー職種へと転換を余儀なくされた。この流れは「産業空洞化」と呼ばれ、今や再び製造業に戻そうにも、熟練労働者が不足している。

技能継承が途絶えたことで、いざ製造ラインを立ち上げても「人がいない」という根本的な問題が生じるのである。

サプライチェーンの国際化

現代の製造業は「部品の90%を世界から集め、10%を国内で組み立てる」と言われるほど、サプライチェーンがグローバル化している。その中で特定の国が「すべてを国内で作る」というのは、コスト的にも技術的にも困難である。


第3章:自国生産の再興は可能か?

テクノロジーによる突破口

3Dプリンティング、ロボット工学、AIによる自動化といった技術革新は、「高コストな先進国でも製造が可能な未来」を開く鍵となっている。例えば、ロボットが人間に代わって工場で働くようになれば、人件費の壁は低くなる。

イギリス国内でも、再生可能エネルギー機器、ワクチン製造、衛星開発などにおいてハイテク産業が育成されつつある。これらの分野では、自国での一貫した生産が可能になるポテンシャルがある。

地産地消モデルの再評価

コロナ禍とブレグジットによって、サプライチェーンの脆弱性が明らかとなり、地産地消モデルが見直され始めている。都市型農業、屋内栽培、垂直農法などが注目されており、都市の近郊で野菜を生産する「ローカル・フード」戦略が徐々に進展している。

農業や食品加工分野では、輸入に頼らず地域内で完結するシステムの整備が、政策的にも支援されつつある。


第4章:そもそも「何でも自国で作る」は可能なのか?

自給自足は幻想か

近代以降の経済学においては、リカードの比較優位理論が支配的だ。つまり、すべてを自国で作るよりも、得意な分野に特化し、不足分は貿易で補うほうが経済的に合理的だとされる。実際、先進国のほとんどはこの原則に則って発展してきた。

従って、イギリスが「スマートフォンも冷蔵庫も自国で作る」といった構想を実現するのは、理論的にも現実的にも難しい。必要なのは、全品目の自給ではなく、「重要品目の戦略的自立」である。

重要なのは「選択的自給」

医薬品、エネルギー、食料、水、通信機器、軍需品など、国家運営に不可欠な分野については、一定程度の自国生産能力が必要だ。イギリスにとっての課題は、こうした戦略的セクターに集中投資し、自立度を高めることにある。


結論:生産力とは「物を作る力」ではなく「選び取る力」

イギリスが直面している問題は、「物を作れない」ことそのものではなく、「何を作るべきかを決められない」ことである。先進国における生産とは、単なる工場建設ではなく、資源・人材・技術をどう選択的に配分するかという意思決定の問題なのだ。

ブレグジットによって経済的な苦境に立たされている今こそ、イギリスはこの問いに真正面から向き合う必要がある。グローバル経済とどう折り合いをつけつつ、自国に根差した持続可能な生産体制を構築するか。その解答こそが、ポスト・ブレグジットの真の意味での「主権回復」なのである。

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