太陽に「Thank you」を言った日——イギリスで知った光への感謝

イギリスに暮らして初めて心から「Thank you」と言った相手は、スーパーのレジ係でも、通りすがりの親切な人でもなかった。誰でもなく、あの日空に姿を現した“太陽”だった。
——そんな日があることを、かつての私は想像もしていなかった。

陰鬱で雨の多い国として知られるイギリスでは、太陽はただの天体ではない。人々の心を照らし、日常を変える一種の「神話的存在」として、静かに、しかし確かに崇められている。
本稿では、そんなイギリスでの日常の中にある太陽への感謝、そして「陽光」というささやかな奇跡が人々に与える幸福について、実体験を交えながら綴っていく。


第1章:曇天の国に降り立つ

初めてイギリスの地を踏んだのは9月の終わり。まだ夏の名残があるはずの季節だったが、出迎えてくれたのは、厚い雲と小雨だった。ロンドンの空は重く、時差ボケも相まって、その灰色は私の心にもじわじわと染みてきた。

日本では、雨といえば憂鬱の代名詞だが、イギリスでは違う。傘をさす人も少なく、霧雨のような雨は「weather」としてすら数えられないこともある。
数週間もすれば「この重苦しさが標準なのか」と、体と心が慣れてくる。気づけば私は、晴れの日が来ることを「願う」というより「信じない」ようになっていた。

それでも、心のどこかで「晴れてくれ」と思っている——そんな矛盾を抱えながら、イギリス生活が始まった。


第2章:天気予報は“参考”程度に

イギリスの天気予報ほど、予報であって予報でないものも珍しい。晴れマークがついていても、朝起きたら土砂降り。雨の予報だったのに、午後には雲ひとつない快晴になっていたりする。

「晴れるかもね」は、イギリスでは希望に近い。予報を信じる者は愚か、とは言わないが、誰もが「外れても怒らない」のがこの国のスタンスだ。
むしろ、予報に反して太陽が顔を出したときには、誰もが少し得をしたような顔になる。「やったね、裏切ってくれてありがとう」そんな表情で、街の人々がうっすら笑う。

その“外れたときの喜び”こそが、イギリスにおける太陽信仰の正体かもしれない。


第3章:太陽を崇める民たち

ロンドンやマンチェスターの公園を歩いていると、奇妙な光景に出くわす。少しでも太陽が出た日には、芝生に人が群がるのだ。寝転び、脱ぎ、笑い、サングラスをかけて読書をする。まるで光合成をしているかのように、誰もが陽に向かって身体を広げる。

「日光浴」といえばどこでも聞く言葉だが、イギリスのそれは“儀式”に近い。特に春から夏にかけての晴れ間は、祝祭そのもの。
会社員も学生も、みな陽を求めて外に出る。カフェのテラス席は奪い合いだし、スーパーではBBQセットが飛ぶように売れる。

ある日、私は大学の芝生に座っていた。突如、雲間から光が差し、まるで神の啓示のように暖かい陽射しが頬を照らした。思わず漏れたのは、自然と出た一言。

「Thank you…」

誰にでもない。たった今現れた太陽に向けた、純粋な感謝だった。


第4章:「太陽神話」という空気

イギリスにはこんなジョークがある。

“夏が来た!今日はその日だった!”

つまり、「夏」とは一日だけ訪れるもの、という皮肉だ。たった一日でも陽光が差したら、それだけで“夏”と呼べるほど、太陽は貴重なのだ。

ある意味、これは“神話”である。誰もが本気では信じていないが、心のどこかで「太陽だけが私たちを救ってくれる」と思っている。
現代のイギリス人にとって、宗教よりも信じやすく、目に見える幸福の源。それが太陽だ。

「太陽のせいで機嫌がいい」
「太陽のせいでビールが美味しい」
「太陽のせいで愛してると言いたくなる」

この国では、すべてが“太陽のせい”で済まされる。


第5章:心に灯る明かり

この国で暮らして知ったのは、「ありがたみ」という感情の形だった。日本では当たり前のように浴びていた陽射しが、ここでは奇跡のように貴重になる。
そしてその「希少性」が、人々の心に光を灯すのだ。

私も変わった。天気予報を前より真剣に見るようになったし、晴れそうな日は一日を無駄にしないように予定を組むようになった。
「日が出たなら散歩しよう」「ベンチでランチを食べよう」——そんな些細な決断が、毎日の幸福度を変える。

感謝とは、当たり前でなくなったときに生まれるものだ。
そして、太陽に「Thank you」を言ったあの日、私は心のどこかで“生きてるな”と感じていた。


結び:あなたの太陽はどこにある?

イギリスで暮らすようになって、私は太陽にありがとうを言うようになった。それは自然現象に対する感謝でありながら、同時に「生きていること」そのものへの感謝でもある。

曇天が続く日々の中で、不意に差し込む光。
その一筋の陽が、どれだけ人を幸せにするかを、私はこの国で知った。

太陽は誰にとっても平等ではない。いつもそこにある国もあれば、そうでない国もある。
でも、心の中に灯せる小さな光なら、きっと誰にでも持てるはずだ。

「Thank you」と言いたくなるような、小さな奇跡。
そんな“あなたの太陽”が、今日もどこかで顔を出していることを願っている。

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