英国で承認された「余命6か月以内」の安楽死制度――医師の責任と植物状態患者の未来

2025年6月、英国議会下院が安楽死に関する画期的な法案を通過させた。この「終末期患者の尊厳ある死に関する法案」は、余命6か月以内と診断された成人が、自己決定に基づいて医師の支援を受けて死を選ぶことを可能にするものだ。これは、これまでの英国医療制度や倫理観に対して大きな転換点をもたらす内容であり、医療現場、法制度、さらには社会倫理にまで深く関わる重要な決断といえる。

しかし、その制度の核心には、医師の診断責任や植物状態にある患者の扱いといった、きわめてセンシティブな問題が横たわっている。本稿ではこの新制度の背景と構造をひもときつつ、医師が担う責任、そして適用外となった患者層について詳しく考察したい。


法案の骨子:対象は「余命6か月以内」「意思判断可能」な成人のみ

新たな制度は、以下の条件を満たす場合にのみ安楽死を認めるという厳格な枠組みの下で運用される予定だ。

  • 患者は満18歳以上で、英国に居住していること。
  • 医師2名によって「6か月以内の余命」と診断されていること。
  • 判断能力があり、自ら死の選択を希望していること。
  • 最終的に投与される薬剤は、患者自身が服用または自己投与すること。

このように、制度の設計はきわめて保守的であり、「誰もが簡単に死を選べる」ような自由な制度ではない。自己決定権を尊重しながらも、誤用・濫用を防ぐために複数のチェック機構が設けられているのが特徴だ。


医師の「余命診断」が意味するもの――科学か、賭けか

もっとも大きな論点のひとつは、医師が担う「余命6か月以内の診断」という責務である。これは一見すると客観的な医学判断のように見えるが、実際には高い不確実性を含む推測である。

がんや末期臓器不全のように進行が比較的予測しやすい疾患であっても、正確な余命診断は困難だ。過去の研究によれば、多くの医師は患者の余命を過大に見積もる傾向があり、実際の生存期間と診断結果には乖離があることが指摘されている。

この制度下では、2名の独立した医師が「6か月以内」と診断する必要があるが、それでも誤差が生じる可能性は否定できない。その結果、まだ生きる可能性があった患者が、制度に則って命を絶ってしまうという悲劇的な事例も起こりうる。

また、制度上は専門パネルによる審査も設けられており、診断に対する一定のブレーキ機能はあるが、最終的には医師の判断に依存する部分が大きい。果たして医師は「死を決定づける診断」という重荷を、倫理的・心理的にどこまで引き受けることができるのか。この点には今後の議論が必要である。


医療従事者の倫理と権利――良心的拒否と制度的サポート

新制度では、医療従事者が安楽死のプロセスに関わることを「良心的理由」で拒否する権利も保障される見通しだ。宗教的信念や倫理観に基づいて拒否することができると明記されることで、医師個人の価値観を無視するような強制力は排除される構造になっている。

とはいえ、現場ではさまざまな葛藤が予想される。ある医師は安楽死に賛同しても、家族や病院方針に逆らえない状況もあるだろう。また、一部の患者は「医師に診断してもらえなければ安楽死できない」ことを逆手にとって、医師に過剰な期待や圧力をかける恐れもある。

こうした事態を避けるために、制度的な支援――たとえば倫理委員会の設置、医師への心理的ケア、法的ガイドラインの整備などが不可欠となるだろう。安楽死の制度化は、単なる法律の制定ではなく、社会全体で支えるべき倫理的インフラの構築を意味している。


「植物状態」の人々はどうなるのか?

現在の法案では、判断能力のある患者のみが対象とされており、植物状態にある人や認知症で意思表明できない人は対象外とされる。

英国では従来から「生命維持装置の停止」を巡る判断が、裁判所を通じて行われてきた経緯がある。植物状態や深刻な意識障害のある患者に対しては、家族が代理人として判断を下し、医療チームと協議のうえで、延命治療を中止するという形が一般的だ。

つまり、今回の制度はあくまで「本人の自律的判断」に基づく安楽死であり、他者による代弁や推定意思に基づいて死を選択することは認められていない。

この点において、制度が抱える倫理的限界も明らかだ。たとえば、かつては生前に安楽死を希望していたが、現在は意思を示すことができない――そうした患者は制度の対象外となる。これに対し、「事前指示書」の有効性や、「推定意思」をどう扱うかという問題が今後の議論の焦点となることは間違いない。


社会に問われる「死の自己決定」とは何か

安楽死制度は、単なる医療行為の選択肢を増やすという意味にとどまらない。「どのように死ぬか」を自己決定できることは、すなわち「生きる意味を選び直すこと」と表裏一体の関係にある。

しかしその選択が、「本人の意思」であることをどう担保するのか。家族からの圧力、医療費の問題、孤独感や社会的疎外――そういった社会的要因が「死の選択」を誘発する可能性があるという点を軽視してはならない。

医師の判断や制度の整備がどれほど周到であっても、個人の決断の背景には、経済的・心理的・社会的要因が複雑に絡み合っている。制度が整えば整うほど、「本当にこの人は自分で選んだのか?」という問いの重みが増す。


終わりに――「尊厳ある死」が社会にもたらすもの

英国が今回の法案によって世界的な安楽死容認国の仲間入りを果たすことは間違いない。しかし、それは単なる進歩ではなく、責任を伴う選択でもある。医師に「死の予測」を課し、患者に「自分の命の終わり方」を選ばせるという制度は、私たちの社会が生命観そのものを見直す契機となる。

この法案が最終的に上院でも承認されれば、英国は新たな医療倫理の時代へと足を踏み入れるだろう。しかしその先には、制度の濫用、倫理的分断、医師と患者の信頼関係の変化といった課題が山積している。

安楽死は、単に「死ぬ自由」を与えるものではない。「どう生き、どう終わるか」という最も根源的な問いに、国家としてどう答えるか――それが、今まさに私たちに突きつけられているのである。

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