イギリス社会を揺るがす「犬による致命的攻撃」問題──なぜ増えているのか、XLブリーをめぐる議論の行方

かつて安全だった自然界、しかし今、脅威は身近な存在から

イギリスと聞くと、広大な田園風景、美しい森林、そして平和な自然環境を思い浮かべる人は多いでしょう。実際、イギリスには野生のクマも毒蛇もおらず、自然界の猛獣による脅威はほぼ存在していません。しかし近年、想定外の「脅威」が急速に存在感を増しています──それは、家庭の中にもいる、です。

かつては年間数件程度にとどまっていた犬による死亡事故が、2020年代に入り急増。2023年には過去最多となる16件もの死亡例が報告され、社会問題として連日メディアを賑わせる事態となっています。

なぜ、イギリスでは今、「犬」が人間にとっての最大の身近な脅威になりつつあるのでしょうか。その背景には、単なる偶発的な事件だけではない、社会構造や文化の変化、そして動物政策の課題が複雑に絡み合っています。

異常事態──犬による死亡事故数、過去最多に

イギリスにおいて、犬に噛まれて死亡するという事例はこれまで極めて稀でした。1991年から2021年までの30年間、年間の死亡件数は5件以下が当たり前だったのです。しかし、COVID-19パンデミック後に状況は一変します。

  • 2022年:6件(過去平均より高い)
  • 2023年:16件(過去最多記録)

この異常な増加にはいくつかの要因が指摘されています。まず、パンデミック中の「ペットブーム」。外出制限や孤独感から犬を飼う人が急増しましたが、十分な社会化(他の犬や人間との交流)やトレーニングを受ける機会が減少。特に、強い力を持つ大型犬が適切な飼育・訓練なしに成長したことで、危険性が高まったと考えられています。

また、犬に関する正しい知識を持たない飼い主が増えたことも、事故を招いた重要な要素とされています。

問題の中心──「アメリカン・ブリーXL」とは何か?

こうした中、最も注目を集めている犬種が**「アメリカン・ブリーXL(XL Bully)」**です。

アメリカン・ブリーXLは1990年代にアメリカで誕生した比較的新しい犬種で、ピットブル・テリア系統を基にしており、がっしりとした体格、強力な咬合力を持っています。そのため、外見は非常に「威圧感」があり、実際に力も並外れて強いのが特徴です。

問題視されているのは、その関与率の高さです。
2021年から2023年に発生した犬による致命的な攻撃の約50%にXLブリーが関与していると報告されています。

これを受けて、2023年12月、イギリス政府は「危険犬種法(Dangerous Dogs Act 1991)」を改正。アメリカン・ブリーXLを新たに危険犬種に指定し、2024年2月以降、免許なしでの飼育・譲渡・繁殖を禁止する措置に踏み切りました。

それでも止まらない攻撃事件

しかし、禁止後も攻撃事件は続いています。

  • 2025年2月:ブリストルで19歳女性がXLブリーに襲われ死亡
  • 2025年3月:マンチェスターで警察官が捜査中にXLブリーに襲われ重傷

禁止措置だけでは、この問題を完全には抑え込めていないことが明らかになってきています。

犬種規制に潜むジレンマ──本当に有効なのか?

法律は問題を解決できるのでしょうか?ここには、深刻なジレンマがあります。

動物福祉団体や多くの専門家たちは、「犬種で危険性を判断するアプローチには限界がある」と警鐘を鳴らしています。彼らが指摘するのは以下のような点です。

  • 犬の攻撃性は「遺伝子」より「育成環境」が影響する
  • 同じ犬種でも個体差が大きく、危険性は一概に決められない
  • 犬種に基づく禁止は誤った安心感を与え、他のリスクを見逃す恐れがある

さらに、禁止された犬種を「違法に」飼育する人々への取り締まりには多大なリソースが必要です。しかし、イギリスの地方自治体や警察のリソースは限られており、違法飼育の摘発率も低いのが現状です。

「禁止するだけでは、本質的な解決にはならない」──この見方は、次第に広がりつつあります。

数字で見る犬による攻撃の現実

より具体的に現状を把握するため、統計を見てみましょう。

犬による死亡件数主な関与犬種
20184件ジャーマンシェパード、ピットブル系
20193件ミックス犬種
20203件ロットワイラー、テリア系
20215件アメリカン・ブリーXL(初登場)
20226件アメリカン・ブリーXL急増
202316件アメリカン・ブリーXL多数関与

特に2021年以降、アメリカン・ブリーXLの関与率が急上昇していることがわかります。もはや無視できない規模となっています。

飼い主の責任と教育の必要性

多くの専門家が強調するのは、「飼い主の責任」です。

どんなに力の強い犬でも、適切な育成環境、十分な社会化、正しいトレーニングを受けていれば、攻撃性は抑えられます。問題は、「力に見合った責任を果たせない飼い主」が存在することです。

そのため、イギリス政府や地方自治体では、以下のような施策が議論されています。

  • 大型犬飼育のための特別なライセンス制度
  • 犬の社会化トレーニング義務化
  • 飼い主に対する教育プログラムの強化
  • 繁殖規制とブリーダー管理の厳格化

これらはまだ議論段階ですが、「犬種規制だけでは解決できない」という認識が広がるにつれ、今後の法整備に反映される可能性があります。

まとめ──「犬と人間の共生」のために必要なこと

イギリス社会において、自然界の脅威は減ったものの、身近なペットである犬が新たな脅威になりつつある──この現象は非常に象徴的です。

そして、単に「危ない犬を禁止すればいい」という単純な話ではありません。
犬を取り巻く文化、飼育者の倫理、社会全体の意識改革が求められています。

今後イギリスでは、「力のある犬とどう共生するか」という新たな社会課題に、より真剣に向き合っていく必要があるでしょう。

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