イギリスで逮捕されるということ:軽犯罪が“スルー”される国の現実

ロンドンの地下鉄で改札をスルーする人を見かけても、駅員は追いかけようとしない。路上で酒を飲みながら騒ぐ若者がいても、通報されることは稀だし、たとえ警察が来たとしても、彼らが連行されることはまずない。

イギリスに暮らすと、こうした“違和感”が日常に溶け込んでいることに気づかされる。そしてある時、ふと思うのだ――「逮捕されるって、相当やばいことをした時だけなんだな」と。

ではなぜ、イギリスでは軽犯罪が見逃され、逮捕のハードルが異様に高く感じられるのか。その背景には、単なる文化の違いでは済まされない、制度的な逼迫と深刻なリソース不足がある。


■ 警察はどこへ行った?人手不足が深刻化する現場

イギリス警察はここ十数年、慢性的な人員不足に苦しんでいる。とくに2010年代以降、政府の緊縮財政政策のもとで警察予算が削減され、結果として約2万人近い警官が現場を離れた。ボビー(警察官)と親しみを込めて呼ばれた彼らの姿は、今や町中では滅多に見かけなくなった。

その影響は市民生活にもじわじわと現れている。盗難や器物損壊、暴行未遂などの通報をしても、「事件として記録はしますが、警官は派遣されません」という対応が増え、結果的に市民が泣き寝入りするケースが相次いでいる。

ロンドン警視庁が発表した近年の統計でも、財産犯罪の検挙率は10%を下回っており、「通報しても意味がない」と感じる人も少なくない。軽犯罪に割く時間と人材が、物理的に残されていないのだ。


■ “逮捕しない主義”ではなく、“逮捕できない現実”

イギリスでは法律上、警察官が逮捕を行うには「逮捕の必要性(necessity test)」が求められる。逃亡の恐れ、身元不明、証拠隠滅の可能性など、逮捕が合理的に必要である理由がなければ、拘束してはならないと定められている。

この理念は本来、「自由を最大限尊重しつつ、適正に取り締まる」ための仕組みだった。だが実際には、これが“逮捕しないための方便”として使われることもある。人手が足りない、刑務所が満杯だ――そうした現実的な制約が、逮捕という法執行手段を事実上の「最後の手段」に追いやっている。


■ 刑務所が満杯だから、誰も入れられない

さらに問題を複雑にしているのが、イギリスの刑務所の過密化である。

英国政府の最新の報告によると、イングランドとウェールズにおける刑務所の収容率は常に95%〜100%に近く、緊急的にプレハブの仮設棟を建てて対応している施設もある。仮釈放を早めたり、収監を遅らせたりする制度が拡大され、「刑が確定しても入れない」受刑者が列を成して待っているという異常事態も起きている。

軽犯罪者や再犯者に対して「罰としての刑務所」という選択肢が現実的でないため、行政処分(罰金や警告)、リハビリプログラム、保護観察などで済ませる方針が取られる。その結果、「ちょっとした悪事は実質的に処罰されない」という事態を招いているのだ。


■ それでも社会は回っている?

興味深いのは、そうした状況にもかかわらず、イギリス社会がある種のバランスを保っていることだ。通勤電車は走り、スーパーには物が並び、人々は「まぁ仕方ない」と半ば諦めを含みながらも日常を送っている。

一方で、個人や地域コミュニティが自らの手で安全を守る動きも活発になっている。ご近所同士で監視アプリを使って不審者情報を共有したり、防犯カメラを自主的に設置したりと、「自衛」が不可欠な時代に入っているのもまた事実である。


■ 最後に:逮捕とは“最後の線引き”

イギリスで逮捕されるというのは、「制度が抱える多くのハードルを乗り越えた末に、それでもなお無視できない」と判断された結果だ。

つまり、それは単なる法律違反ではなく、警察がリソースを割いてでも介入せざるを得なかった“社会的に危険な存在”というラベルを貼られたことを意味する。

軽犯罪がスルーされているのは、イギリス人が寛容だからではない。制度と現場がすでにキャパシティの限界に達しており、「スルーせざるを得ない」という苦しい選択の上に成立している秩序なのだ。


「逮捕された人間はよほどのことをしたに違いない」――それは誇張でも皮肉でもなく、イギリスの治安システムが静かに発している現実のメッセージである。

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