ドナルド・トランプがアメリカ大統領でなかったら、人々の生活は今より楽だっただろうか。
私は、答えは「ノー」だと考える。大統領の名前が違っていても、私たちは物価高、住居費の負担、資源をめぐる競争、将来への不安に直面していただろう。
リーダーが誰であっても、生活を苦しくしている根本の条件は同じだった。だから、大きな結果も変わらなかった。これが私の見方である。
いま世界で起きていることは、一人の政治家が登場した瞬間に始まった問題ではない。何十年にもわたって便利さを追い求め、消費を増やし、成長を当然のものとしてきた社会が、その負担を引き受ける時期に入ったのである。
それなのに、人々は「あの人がいなければ」「別の人が大統領だったら」と考える。生活の苦しさを、目の前にいるリーダーの顔と結び付け、その人物を追い出せば問題まで消えるように期待してしまう。
私は、この期待の根に、人間の「ないものねだり」があると見ている。
現在のリーダーには、失敗も、限界も、不満も見える。一方、まだ政権を担っていない人物には、自分の望む未来を自由に重ねられる。隣の芝生が青く見えるのと同じように、今の政治に反対する人が、実際以上に頼もしく見えてしまうのだ。
反対意見を言うだけで救世主に見える。その人が政権を取れば、すべてが良くなるように感じる。しかし、政権を引き継いだ瞬間に、その人も同じ資源、同じ経済、同じ国際市場の中で判断しなければならなくなる。
交代するのは人物であり、世界を動かしている条件まで一緒に交代するわけではない。
英国は、この現実を考えるうえで分かりやすい。
2016年以降、メイ、ジョンソン、トラス、スナク、スターマーと、首相の顔ぶれは何度も変わった。保守党から労働党への政権交代も起きた。www.gov.uk
そのたびに、新しい政治への期待が生まれた。それでも、首相が変わったという理由だけで、スーパーの価格や住まいにかかる費用が昔の水準に戻ることはなかった。
2026年8月の英国の消費者物価上昇率は、前年同月比3.1%。イングランド銀行は9月に政策金利を3.75%に据え置き、中東情勢によるエネルギー価格の上昇と、今後のインフレへの影響を警戒している。www.ons.gov.uk
英国の家計に届く負担は、首相官邸の中だけで生まれているわけではない。国外で起きた紛争が燃料価格に影響し、燃料価格が輸送や生産の費用に波及する。国内のリーダーが交代しても、このつながりは続く。
首相を何人替えても、生活を支える仕組みが抱える負担は、そのまま次の首相へ引き継がれる。
そして、「インフレが落ち着けば生活は元に戻る」という期待にも、落とし穴がある。
仮に、以前100ポンドだった買い物が120ポンドになったとする。その後、物価上昇率が2%まで下がっても、同じ買い物は122.40ポンドになる。値上がりの速度が落ちただけで、以前の100ポンドに戻ったわけではない。
英国の物価安定目標も、毎年2%の上昇である。つまり、インフレの抑制と、以前の価格への回復は、別のことである。www.bankofengland.co.uk
政治家が「インフレは改善した」と言っても、人々が買い物で感じる負担は残る。私たちが必要としているのは、値上がりが遅くなることだけではなく、収入に対して暮らしの費用が軽くなることである。
昔の安い生活が戻ってくるのを待ち続けるより、高くなった生活費が続く世界を前提に考えるべき時期に来ているのではないだろうか。
その背景にあるのが、資源と消費の関係だ。
石油、天然ガス、鉱物などの非再生資源は無限ではない。しかも、私たちの生活を支えるためには、資源が存在するだけでなく、それを取り出し、加工し、運び、安定して供給する仕組みが必要になる。
便利な生活が広がれば、その仕組みにかかる負担も増える。より多くの製品を作り、より多くの電気を使い、より遠くまで物を運ぶ。その積み重ねを、いつまでも安い費用で維持できると考えてきたところに、問題がある。
国連環境計画の2024年の報告によると、世界の天然資源の採取量は過去約50年間で3倍になった。十分な対策がなければ、2060年には2020年比でさらに60%増える可能性があるという。www.unep.org
これは、生活苦をトランプ一人の問題として説明することの限界を示している。私たちは、一人の大統領の任期よりはるかに長い時間をかけて、資源への負荷を増やしてきたのである。
警告がなかったわけでもない。
1972年に公表された『成長の限界』は、人口、工業生産、資源消費、汚染などが増え続ける世界の持続可能性を問いかけていた。www.clubofrome.org
それでも社会は、目の前の便利さと成長を求めた。私たちも、その恩恵を受けてきた。車が増え、製品が増え、消費が広がることを豊かさと捉え、その先に生じる負担を、未来へ送り続けてきた。
いま、その未来に私たち自身が立っている。
世界が資源や環境の問題に向き合わざるを得なくなっているのは、従来の成長の仕組みを続けるための条件が厳しくなっているからだと、私は考える。安い資源を大量に使い、大量に作り、大量に売れば、社会全体が自然に豊かになる。その前提が揺らいでいるのである。
では、これから世界はどうなっていくのだろうか。
私が今後5〜10年に起きると予想するのは、生活の負担が残るなかで、国家、企業、個人が、それぞれ自分を守るための行動を強めていく世界である。
まず、国家や企業は、安さに加えて供給の確実さを重視するようになるだろう。
遠い国から安く買うことに頼り切る危うさが意識されれば、生産拠点の分散、在庫の確保、自国や近隣国での調達が進む。そのための費用が増えれば、私たちが買う商品の価格にも影響する。
以前と同じ便利さを維持するために、以前より多くのお金が必要になる。そうした状況が、生活のさまざまな場面で続くと考える。
次に、経済の成長と、個人の生活の改善との距離が広がるだろう。
AIや自動化が進み、企業が効率を高めても、その成果がすべての働き手へ同じように届くとは限らない。技術を持つ側が利益を得る一方で、個人には新しい技能の習得や、仕事の変化への対応が求められる。
国や企業が成長を発表しているのに、自分の手取りや暮らしは良くならない。その実感を持つ人が増えれば、政治への不満はさらに強くなるだろう。
そして、リーダーへの期待と失望が、今より速い周期で繰り返されると予想する。
生活が苦しいから政権を替える。新しいリーダーに期待する。それでも負担が残る。そこで、また次のリーダーを探す。
この繰り返しの中で、人々は、より強い言葉で解決を約束する人物へ引き寄せられていく。しかし、約束が大きくなっても、資源や供給力が同じ速度で増えるわけではない。期待が膨らむほど、現実との隔たりも大きくなる。
「次のリーダーなら救ってくれる」という期待を続ける限り、私たちは失望を繰り返すことになる。
最後に、個人や地域が、自分たちの生活を支える力を持つことの重要性が増していくだろう。
仕事の変化に対応できる技能を身に付ける。暮らしの固定費を見直す。地域の事業者や住民が、修理、移動、見守りなどを支え合う。政治の決定を待つだけでは間に合わない問題に、自分たちで対応する動きが必要になる。
国のリーダーが誰かというニュースより、自分の仕事、住まい、家計、地域のつながりをどう守るか。その判断が、生活を左右する度合いは大きくなると考える。
世界は、すでに一人のリーダーが思いどおりに動かせる範囲を超えている。国境を越えてつながった経済では、一か所の混乱が、遠く離れた国の家庭にまで届く。国内の政治家を替えたからといって、国外から届く負担まで消えるわけではない。
トランプでなければ、別の大統領が、その現実に直面していた。英国でも、日本でも、新しいリーダーは同じ世界の中で仕事をする。
だから私は、リーダーが誰であっても、生活苦の根本を生む大きな流れは変わらなかったと考える。
これから私たちに必要なのは、政治家が生活を救ってくれるという期待に、人生を預け続けることではない。政治家に頼り切らず、自分たちで生活を支える力を育てることである。
リーダーの交代を待つ間にも、世界は変わっていく。
その変化に備える時間を、次の救世主を待つためだけに使ってはいけない。









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