
イギリスといえば、どんなイメージを思い浮かべるだろうか?
ビッグベン、紅茶、霧深い街並み、そして気まぐれな天気――。特に天気については、もはや国民的トピックであり、日常会話の糸口になるほど重要視されている。そんな「どんより」が基本のイギリスにおいて、晴れ間は神聖な祝祭と化す。そして、その祝祭の喜びを最大限に表現する手段が、なぜか「裸」になることなのだ。
ここでは、イギリス人男性たちが少しでも天気が良くなると脱ぎ始める文化を深堀し、さらに――「そこそこ体型に難ありな人」たちまで堂々と裸になる驚異のメンタリティについて掘り下げてみたい。
■ イギリス人はなぜすぐ脱ぐのか?
まず最初に理解すべきは、「イギリスにおける晴天は特別」という事実だ。
年間を通して曇天と雨が支配するこの国において、晴れ間はまるで貴族から民衆への慈悲のようなもの。
だからこそ、人々は晴れた瞬間に全力で太陽を浴びようとする。
晴れた日、公園に行ってみれば一目瞭然。
まだ春の冷たい風が吹く中、芝生に広がるのは――
- 上半身裸のおじさんたち
- お腹ぽっこりな中年男性たち
- 筋肉どころか脂肪を誇らしげに揺らす若者たち
彼らは一様に、
「細かいことはどうでもいい!」
「太陽を感じるんだ!」
とでも言いたげな表情で、全裸に近い姿で地面に寝そべっている。
それも、鍛え抜かれたマッチョマンばかりではない。むしろ、鍛えてない普通の、いやちょっと「ふくよかな」体型の人が大半なのである。
■ 脱ぐのにスタイルは関係ない
日本では、海やプールに行くにも「ちょっとダイエットしてから…」とためらう人も多い。
「水着になる=ある程度引き締まった体が前提」という暗黙のプレッシャーすらある。
だが、イギリスではそんなもの、ない。
いや、あっても気にしない。
ぽっこりお腹、白くたるんだ肌、筋肉のかけらもない細い腕。
そんな「リアルな普通体型」の人たちが、何の躊躇もなく脱ぎ、笑顔で太陽を浴びる。
これを見た日本人は戸惑う。
「そんな身体で脱いでいいんですか……?」
と心の中でツッコんでしまうかもしれない。
しかし、彼らは言うのだ。
「なぜだめなんだ?俺の体だぞ?」
この潔さこそ、イギリス人男性の持つ独特の魅力の一つだ。
■ ボディ・ポジティブ精神の体現
この現象は、一言で言えば「ボディ・ポジティブ」だ。
ボディ・ポジティブとは、自分の体型や見た目を肯定し、ありのままを受け入れる考え方のこと。
イギリス人男性たちは、たとえ「理想的」とは言えない体型であっても、
「俺は俺だ」
「この体で何が悪い」
という強烈な自己肯定感を隠さない。
しかもそれを押しつけがましく主張するわけでもなく、ただ自然体で、当たり前のように、日光浴を楽しんでいる。
その姿勢には、見ているこちらが「ちょっと羨ましい」と思うほどの清々しさがある。
■ ビール片手に裸、それが夏の風景
さらにイギリス人男性たちの「裸祭り」は公園だけにとどまらない。
街角のパブでも、晴れた日にはビール片手に上半身裸で談笑しているグループが現れる。
見た目はもはや「酔っ払いの宴」。
だが、彼らにとってはこれこそが「自由」なのだ。
街中を歩くと、
- 赤く日焼けした裸のおじさん
- スーパーの前で上半身裸の若者
- ベビーカーを押しながら裸で歩くパパ
など、シュールな光景がそこかしこで見られる。
最初はびっくりするが、しばらく滞在すると「まあ、これもイギリスだな」と思えてくるから不思議だ。
■ 脱ぐことは「生きる喜び」の表現
イギリス人にとって、太陽の光は単なる天気ではない。
長く、寒く、どんよりとした冬を越えた末に得られる、生きる力の源だ。
その喜びを全身で受け止めるために、服というバリアを脱ぎ捨てる。
体型も、恥じらいも、周りの目も関係ない。
あるのはただ、自然と一体になりたいという素朴な欲求だけだ。
彼らは、太陽に向かって胸を張る。
ぷよぷよのお腹も、筋肉ゼロの腕も、すべてをさらけ出して。
それはある意味、とても美しい行為ではないだろうか。
■ まとめ:イギリス人男性たちの裸文化に学ぶこと
イギリス人男性たちの「少しでも晴れたら裸」文化は、単なる面白い現象ではない。
そこには、以下のような深い価値観が根付いている。
- 小さな喜びを全力で楽しむ精神
- 自分自身の体を受け入れる潔さ
- 他人の目を気にしない自由さ
- 生きることへの素直な喜び
体型がどうであろうと、年齢がどうであろうと、彼らは脱ぐ。
それは「見た目」ではなく、「生きる喜び」の問題なのだ。
日本でも、もっと自分自身を肯定して、周りの目を気にせずに生きていいのかもしれない――
イギリス人男性たちの裸の背中を見ながら、そんなことをふと思う。
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