イギリス富裕層の資産シフト:仮想通貨と株式への移行、その背景と未来展望

イギリスの富裕層が、これまで資産の中核を成していた不動産から、仮想通貨や株式などのより流動的で国際的な資産へと投資の軸を移しつつある。この動きは単なる一時的なトレンドではなく、税制改革、不動産市場の停滞、新たなテクノロジー投資機会など、複雑な要因が交差する中で加速している現象である。

1. 税制改革:富裕層を動かす最大の引き金

2024年にイギリス政府が実施した大規模な税制改革は、富裕層の資産戦略において大きな転換点となった。中でも注目されたのが「ノン・ドム(non-domiciled)」制度の廃止だ。これまで、この制度を利用することで、一定の条件下では海外所得や資産に課税されずに済んでいた富裕層が、今後は世界中の資産に対してイギリスの税制下で課税されることになる。

この改革によって、資産をイギリス国外へ移すだけでなく、そもそも居住地そのものを変える「タックス・エミグレーション(税制を回避するための移住)」が急増している。例えば、水道設備会社Pimlico Plumbersの創業者であるチャーリー・マリンズ氏や、移動式住宅帝国を築いたアルフィー・ベスト氏など、メディアでも広く知られた実業家たちがイギリスを離れた。

さらに、2025年4月にはキャピタルゲイン税(CGT)の税率が従来の18%から24%へと引き上げられることが決まり、これが資産移動をさらに促進する要因となっている。英財務省の統計によると、CGTの引き上げによる高額納税者の国外移住の影響で、2025年度のCGT収入は前年比で13.2%減少し、約13億ポンドの減収となった。

ノン・ドム制度とは?

ノン・ドム制度は、居住国はイギリスだが本国(ドミサイル)が別にあるという人々に特別な税制優遇を認めるもので、18世紀に設けられた非常に古い制度だ。イギリスの歴代政府はこの制度によって、海外からの富裕層や投資家を誘致してきた。しかし、格差是正と財源確保の観点から廃止が決定された。

2. 不動産市場の停滞と資産配分の再考

税制の変化と同時に、イギリスの不動産市場—とりわけロンドンの高級不動産市場—も大きな転換点を迎えている。近年、ロンドンの「スーパー・プライム」と呼ばれる1000万ポンド以上の高級住宅市場では、価格が頭打ちになり、交渉の余地が広がっている。

これは複数の要因によるものである。まず、イングランド銀行(BoE)の利上げによって住宅ローン金利が高止まりし、不動産投資の利回りが低下している。また、ブレグジット後の政策変更により、非居住者に対する税制優遇が段階的に廃止されたことも影響している。

商業用不動産も例外ではない。調査会社CoStarのデータによれば、イギリス国内の商業不動産の市場価値は、2020年の1.114兆ポンドから2023年には9490億ポンドへと縮小した。この下落は、オフィス空室率の上昇や、コロナ禍以降のリモートワークの普及による構造的な需要減退が主因だ。

このような市場の見通し不透明感から、多くの富裕層は不動産への資産集中を避けるようになり、より流動性が高く、グローバルで分散可能な資産クラスへの転換を進めている。

3. 仮想通貨と株式:次世代の資産クラス

富裕層の中でも特に若年層—いわゆるミレニアル世代やZ世代—は、デジタル資産への関心が高まっている。Henley & Partnersの2024年の調査では、イギリス在住の若年富裕層の約71%が、何らかの形で仮想通貨へ投資していると報告された。これは、米国の富裕層における同様の割合(約56%)をも上回る数字だ。

仮想通貨に対する制度的支援

2025年には、改革党の党首ナイジェル・ファラージ氏が「仮想通貨革命」を公約に掲げ、ロンドンを仮想通貨のグローバルハブにする政策提案を打ち出した。これにより、政策的にもデジタル資産を取り巻く環境は整備されつつあり、投資対象としての正統性がさらに強化されている。

一方、伝統的な資産クラスである株式市場も依然として魅力的な投資先である。特にテクノロジー関連株やグリーンエネルギー関連企業は、グローバルなテーマに支えられて長期的な成長が見込まれている。

4. ポートフォリオ戦略の変化とリスクマネジメント

富裕層の資産戦略は、単に「どこに投資するか」ではなく、「どう分散し、どう守るか」に焦点が移ってきている。

仮想通貨は高いリターンが期待できる反面、その価格変動は極めて大きい。また、ハッキングや詐欺といったセキュリティリスクも無視できない。そのため、多くの富裕層は、仮想通貨と株式、さらに一部の不動産やコモディティ(金、アートなど)を組み合わせたハイブリッド型ポートフォリオを形成している。

信託や財団を活用した相続・贈与税対策も引き続き重視されている。Assured Private Wealth社のリポートでは、資産1億ポンド以上を保有するファミリーオフィスのうち、約82%が何らかの信託構造を導入していることが示された。

5. 今後の展望:イギリス経済と富裕層の「静かな離脱」

イギリス政府にとって、富裕層の資産流出は税収の減少だけでなく、消費、投資、雇用創出といった面でも長期的な損失を意味する。これまでロンドンは、ニューヨークやドバイ、シンガポールと並ぶ「グローバル・キャピタル」として富裕層を惹きつけてきたが、近年その立場に陰りが見え始めている。

一方で、金融技術(フィンテック)や仮想通貨といった新興分野では、イギリスは依然として高いポテンシャルを保持しており、政策次第では新たな投資の呼び水ともなりうる。問題は、既存の富裕層にどう魅力を維持しつつ、新しい世代の富裕層—特にテクノロジー志向の高い層—を惹きつけられるかにある。


結論:移行期のイギリス、資産戦略は進化の真っ只中

イギリスの富裕層が仮想通貨や株式へと資産を移行させている背景には、税制改革、不動産市場の変動、デジタル投資機会の拡大などが複雑に絡み合っている。これらの変化は、単なるトレンドではなく、イギリスという国家の経済構造そのものに影響を与える転換点である。

今後もこの資産の潮流を的確に読み解くことが、投資家にとっても政策立案者にとっても極めて重要となるだろう。

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