
イギリスの街角でよく見かけるもののひとつに、「魚屋(フィッシュモンガー)」がある。観光地から住宅街の一角まで、その規模や装いはさまざまだが、どこか「昭和の市場」を彷彿とさせるような、懐かしくも少し雑多な佇まいをしている。筆者自身も、最初はそれを目にして驚いた。「え? イギリスってそんなに魚食べる国だったっけ?」というのが、正直な第一印象だった。
さらに言えば、見た目の衛生感にもやや疑問が残る。氷に載せられていない魚がゴロリと並び、魚屋の兄ちゃんが素手でそれをガシッとつかんで見せてくる。その手つきは職人芸というより「雑技団」に近い。手袋はしているのか? いや、していないことも多い。しかも値段がなぜか高い。超高級スーパー「Waitrose」よりも高い場合がある。筆者のように「そこまで魚に執着がない」人間にとっては、なかなか足を踏み入れづらい世界である。
本当にイギリス人は魚を食べるのか?
イギリス料理といえば「フィッシュ・アンド・チップス」がまず思い浮かぶが、あれはタラかハドック(鱈の一種)を揚げたものに過ぎない。寿司や刺身文化のような「生の魚」への親和性は高くないし、煮魚や焼き魚といった調理法もあまり一般的とは言いがたい。スーパーに行っても、肉売り場に比べて魚売り場はずっと小さい。缶詰(ツナ、サーディン、マッカレル)や冷凍品が主流だ。
それでも魚屋は存在している。しかも結構な頻度で見かける。なぜだろうか?
その理由を紐解くためには、「イギリスの魚文化」ではなく、「魚屋の商売文化」に注目する必要がある。
フィッシュモンガーの正体
イギリスにおけるフィッシュモンガー(fishmonger)は、単なる魚の小売業者ではない。伝統的には、魚市場から直接仕入れた鮮魚を地域の人々に提供する、ある種の「流通のプロフェッショナル」でもある。中には家族経営で何世代にもわたって営業している店も多く、地方のコミュニティにとっては重要な存在だ。
また、彼らは単に魚を売るだけでなく、調理用に下処理をしたり、調理法をアドバイスしたりと、ある種のコンサルタント的役割も果たしている。まるで八百屋のおばちゃんが「この白菜は漬物に向いてるよ」と教えてくれるような感覚だ。つまり、魚屋は「魚に特化した知識とスキルを持つ専門家」としての価値を今も維持している。
衛生面、本当に大丈夫なのか?
一方で、多くの日本人にとって気になるのが衛生面である。
日本では魚は「繊細でデリケートな食材」とされ、生食文化の影響もあり、保存状態や取り扱いには非常に厳格な基準がある。手袋の着用、冷蔵・冷凍チェーンの徹底、清潔な調理器具など、徹底した衛生管理が求められる。それに比べると、イギリスの魚屋はやや「野性的」に映る。
しかし実際には、イギリスでも食品基準庁(FSA)による衛生基準が定められており、定期的な抜き打ち検査が行われている。店舗には「Food Hygiene Rating(食品衛生評価)」が貼り出されている場合が多く、1~5のスコアで示される。信頼できる魚屋は大体4~5を獲得している。逆に、それが貼っていない店には警戒が必要かもしれない。
また、素手での取り扱いが多いことについても、「頻繁な手洗い」が前提となっている。つまり、文化として「手袋=清潔」とは必ずしもみなされていないのだ。むしろ手袋をしていると手洗いがおろそかになるという批判さえある。日本とは異なる「衛生観」だが、必ずしも劣っているとは限らない。
魚がそんなに好きじゃないのに、どうして魚屋がやっていけるのか?
イギリス人が日本人ほど魚好きでないことは事実だ。ではなぜ魚屋が成立するのか?
その答えのひとつは、多様な民族と嗜好の融合である。イギリスにはインド系、アフリカ系、中東系、カリブ系など多くの移民コミュニティが存在し、彼らの中には魚を積極的に食べる文化を持つ人々が多い。例えばバングラデシュ系の家庭では、川魚や海水魚をスパイスで煮込む料理が日常的に作られている。
こうしたコミュニティは大型スーパーよりも地元の魚屋を重宝し、しっかりとした購買力を持っている。言い換えれば、魚屋は「移民需要」によって支えられている側面が大きいのだ。
さらに、サステナビリティの観点からも「地元で獲れた魚を地元で買う」ことが見直されてきており、地産地消を重んじる人々の支持もある。英国南西部やスコットランドなどの沿岸地域では、漁業は今も主要産業のひとつであり、その魚が地元の魚屋を通じて都市部に届けられる仕組みが存在する。
値段が高いのはなぜ?
それでもやはり、「値段が高い」という印象は拭えない。
実はこれにも理由がある。まず、小規模な魚屋は大量仕入れができないため、仕入れ単価が高い。また、市場から店舗までの輸送や保管コストもかかる。加えて、下処理や説明といった「人的サービス」が価格に上乗せされている。
一方、大型スーパーは効率化と量的スケールを武器に安価な魚を提供できる。しかしその多くは冷凍された輸入魚であり、品質のばらつきや加工の透明性に不安が残ることもある。
つまり、「魚屋の魚は高いが、質とサービスで勝負している」のだ。
それでも筆者は魚屋で買わない理由
ここまで擁護的な視点で語ってきたが、筆者個人としては、それでも魚屋で魚を買うことは稀である。
その理由は単純で、「そもそもそこまで魚が好きじゃない」からだ。特に脂の乗った刺身や煮付けを欲する日本的な魚欲求に対して、イギリスの魚屋が提供する魚はちょっと方向性が違う。鮭やタラ、マッカレル(サバ)など、日本人にもなじみ深い魚はあるが、あくまで調理の主軸が「焼く・揚げる」に偏っており、刺身用途の魚は限られている。
さらに、自炊で魚を扱うには下処理や臭いの処理など、手間が多すぎる。時間も技術も求められる。忙しい日常の中で、肉や豆類、冷凍食品に手が伸びるのは当然の帰結ともいえる。
最後に――魚屋は「文化的存在」
イギリスの魚屋は、もはや「食材を売る場」以上の存在になりつつある。街の文化、多様な住民層、そしてサステナビリティの象徴として、いぶし銀のように存在し続けている。
あなたが魚をあまり好きでなくても、魚屋に抵抗を感じても、それはまったく問題ない。しかし、もし勇気を出して扉を開けてみたら、案外親切なおじさんが「今日はいいホタテが入ってるよ」と声をかけてくれるかもしれない。
買うかどうかは、そのとき決めればいい。
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