
「悪の枢軸」とレトリックの原罪
2002年、当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは、一般教書演説である言葉を発した。
「イラン、イラク、北朝鮮――これらは『悪の枢軸(Axis of Evil)』だ」
この言葉は瞬く間に世界中のメディアを駆け巡り、特にアメリカ国内では、国家安全保障と道徳的正義を盾に掲げた「対テロ戦争」のシンボルとして語られることになった。しかし、ヨーロッパの人々、特にイギリス人の多くはこの演説を冷めた目で見つめていた。
イギリスはかつての帝国主義国家として中東に深く関わってきた歴史を持つ。その経験があるからこそ、アメリカの一方的な「正義」の語り口や武力行使に対して、直感的な不信や皮肉が生まれたのだろう。
冷戦後の真空地帯とアメリカの「例外主義」
冷戦の終結とともに、世界は一時的に「アメリカ一強」の時代へ突入した。民主主義と市場経済の勝利、ソ連崩壊によるイデオロギー的対立の終焉。こうした空気の中で、アメリカは「世界の警察官」としての役割を自任し、積極的に「世界秩序の構築」に乗り出した。
この「例外主義(American exceptionalism)」――アメリカは他国とは異なる、より道徳的な価値に基づく国家であるという信念――が、外交政策にも影を落とす。自由、民主主義、人権という言葉の裏で、アメリカは繰り返し中東に軍事介入を行い、その都度「正義」の名の下で新たな混乱を生み出してきた。
アフガニスタンからイラクへ――連鎖する軍事介入
2001年9月11日、ニューヨークとワシントンD.C.を襲った同時多発テロは、アメリカ国民に計り知れない衝撃を与えた。死者は約3,000人。直後、アメリカ政府はタリバン政権がビンラディンを匿っているとしてアフガニスタンに侵攻。これが「対テロ戦争」の幕開けだった。
しかし、その勢いはイラクにも及んだ。大量破壊兵器(WMD)の存在を理由に、2003年にイラク戦争を開始。だが実際にはWMDの存在は証明されず、後年ブッシュ政権は「誤情報に基づいていた」と認めることになる。
この流れに対して、イギリスでも強い疑問と批判が巻き起こった。とりわけ、ブレア政権がブッシュ政権と歩調を合わせてイラク戦争に加担したことに対しては、現在に至るまで厳しい評価が下されている。ロンドンでは100万人以上が反戦デモに参加し、「Not in Our Name(私たちの名でやるな)」のスローガンが響いた。
「戦争の輸出」としての民主主義
アメリカは常に「自由と民主主義の普及」を介入の正当化として掲げてきた。だが、それが実際に機能したかというと極めて疑わしい。アフガニスタンもイラクも、アメリカ撤退後に再び混乱に陥り、タリバンやイスラム国(ISIS)といった過激派が台頭した。
「民主主義」は外から押し付けるものではないという基本原則を無視した結果、現地の社会構造、宗派対立、文化的背景を無視した政治システムの移植は、むしろ内部崩壊と腐敗、そして反米感情を助長する温床となった。
イギリス人の「冷めた目」と歴史意識
では、なぜイギリス人の多くはアメリカの中東政策に対して冷ややかな視線を向けているのか。
理由は複数あるが、最も大きいのは「植民地主義の記憶」である。イギリス自身が20世紀前半まで中東(特にイラク、パレスチナ、エジプトなど)に深く介入し、無理な国境線を引いたり傀儡政権を支援した結果、今日の混乱を招いたことを知っている。
そのため、アメリカの行動を「自分たちがかつてやった過ちの繰り返し」として見る傾向がある。皮肉屋のイギリス文化も相まって、「アメリカ人は歴史を知らない。だからまた間違う」といった空気が、特に知識層やメディア関係者の間で共有されている。
繰り返される「大義」の罠
「テロとの戦い」「大量破壊兵器の除去」「民主主義の普及」「女性の権利の保護」――これらはすべて、過去20年でアメリカが中東介入のために掲げてきた大義である。
しかしそれらは、目的ではなく「手段の正当化」に過ぎないことが多かった。そして現地では、その大義が皮肉にも暴力や不安定の拡大につながる。こうしたジレンマを見抜いているからこそ、イギリス人は「もう騙されない」という目で見ている。
現在の中東――またしても「敵」が現れる
2020年代に入り、アメリカの中東への関与はややトーンダウンしたかに見えた。だが、ウクライナ戦争、イスラエルとパレスチナの新たな緊張、イランとサウジアラビアの対立再燃などを背景に、アメリカは再び「秩序の回復」の名のもとで介入を強めつつある。
また、最近のAIやサイバー戦争、ドローン兵器の導入により、物理的な占領ではなく「リモートな干渉」という形での関与も拡大している。これは戦争の「見えにくさ」を助長し、国民の関心や批判をかわす一因となっている。
終わらない物語の中で
歴史は確かに繰り返される。しかしそれは「まったく同じ形」で繰り返されるのではない。むしろ、同じ論理、同じ口実、同じ自己正当化によって、形を変えた戦争が繰り返されているのだ。
その中で、イギリス人の冷ややかな視線は単なる反米感情ではない。むしろ、かつて自国が同じ過ちを犯したことへの自省と、それを今繰り返そうとしている他国への警告なのだ。
参考文献(任意で追記可能)
- George W. Bush, State of the Union Address, 2002
- The Chilcot Report(イラク戦争調査報告書, 2016)
- Tariq Ali, The Clash of Fundamentalisms
- Noam Chomsky, Hegemony or Survival
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