イギリスで生活していると、ときどき強い違和感を覚えることがあります。
それは、身近な人への気遣いや思いやりはあまり見せないのに、地球環境や社会問題については非常に立派なことを語る人が多いという点です。
もちろん、すべてのイギリス人がそうだと言いたいわけではありません。しかし、社会全体の空気として、「目の前の人には冷たいのに、遠くの大きな問題には熱心に見える」という矛盾を感じる場面は少なくありません。
目の前の人には無関心なのに、地球には優しいふり
例えば、近所の人、同僚、店員、サービスを受ける相手、あるいは自分の家族や友人に対して、もう少し思いやりを持って接してもよいのではないかと思う場面があります。
困っている人がいても、自分に直接関係がなければ知らないふりをする。
相手の立場を考えず、自分の都合だけを優先する。
約束や時間に対しても、相手への迷惑より自分のペースを優先する。
その一方で、環境問題、気候変動、リサイクル、サステナビリティといった話になると、急に意識の高い人間のように振る舞うことがあります。
地球の未来を考えている。
環境に配慮している。
社会のために正しい行動をしている。
そういう姿勢そのものは悪いことではありません。むしろ大切なことです。
しかし、目の前にいる人への最低限の気遣いができていないのに、地球規模の問題だけを語る姿を見ると、どこか偽善的に感じてしまいます。
「大きな問題」を語ることで、自分を大きく見せている
環境問題を語ることは、現代では一種のステータスのようにもなっています。
「私は環境を考えている」
「私は社会問題に意識がある」
「私は未来のために行動している」
こうした言葉は、一見すると立派に聞こえます。
しかし、本当に人間として成熟しているなら、まずは身近な人を大切にするべきではないでしょうか。
地球環境を考える前に、目の前の人を不快にさせない。
社会全体を良くしたいと言う前に、隣にいる人に失礼な態度を取らない。
未来の世代を守ると言う前に、今関わっている人に最低限の礼儀を持つ。
それができていない人が、急に大きなテーマを語り出すと、「自分は大きなことを考えている人間だ」と見せたいだけなのではないかと感じてしまいます。
本当の優しさは、遠くではなく近くに出る
本当の優しさや人間性は、大きなスローガンの中ではなく、日常の小さな行動に表れます。
道を譲る。
相手の話をきちんと聞く。
約束を守る。
人を見下さない。
困っている人に少し手を貸す。
自分の都合だけで相手を振り回さない。
こうした当たり前のことができて初めて、「社会を良くしたい」「環境を守りたい」という言葉にも説得力が出るのではないでしょうか。
逆に、身近な人に対して冷たい人が、環境や社会正義を語っても、それはどこか空っぽに聞こえます。
環境意識は大切だが、人間性の代わりにはならない
もちろん、環境を考えること自体は大切です。
気候変動やゴミ問題、エネルギー問題など、世界が向き合うべき課題はたくさんあります。
それを無視してよいわけではありません。
しかし、環境意識があることは、人間性が優れていることの証明にはなりません。
エコバッグを持っているから優しい人間なのではありません。
リサイクルをしているから思いやりがある人間なのではありません。
環境問題を語っているから、立派な人間なのではありません。
人としての本当の価値は、もっと身近なところに出ます。
自分の周りにいる人にどう接しているか。
弱い立場の人にどんな態度を取るか。
自分に利益がない相手にも丁寧に接することができるか。
そこにこそ、その人の本性が表れるのです。
まずは地球より、目の前の人を大切にするべき
イギリス社会を見ていると、環境や社会問題について語ることは上手でも、身近な人への配慮が足りないと感じることがあります。
大きなことを語る前に、まず目の前の人を大切にする。
地球を守る前に、隣にいる人を傷つけない。
未来のためと言う前に、今ここにいる人に誠実である。
それができて初めて、本当の意味で「社会を良くする人」なのではないでしょうか。
環境を考えることは大切です。
しかし、それを自分を大きく見せるための飾りにしてはいけません。
本当に大きな人間とは、大きな問題を語る人ではなく、小さな日常の中で人に優しくできる人です。










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