
かつて「家庭内の暴力」という言葉がニュースに取り上げられるとき、そこに登場するのはほとんどが“女性の被害者”だった。家庭内で殴られ、傷つき、声を潜める女性たち。私たちはそれを「典型的なDVの姿」として刷り込まれてきた。
しかし今、イギリスでは“もう一つの現実”が、静かに浮かび上がっている。
それは、男性もまたDVの被害者であるということ。しかも、その数は今や無視できないレベルに達している。
📊 男性被害者、ついに「151万人」の時代へ
2023年から2024年にかけて、イングランドとウェールズでDV被害を受けたとされる男性の数は約151万人に上った。人口の約6.5%、つまり20人に1人以上が、過去1年以内にDVの被害を経験していることになる。
これまで「女性の問題」とされがちだったDVの現場で、被害者全体の約40%を男性が占めている。これは、決して一過性の数字ではない。警察記録や被害者調査によると、男性へのDVはここ数年、年平均で1.97%ずつ増加しており、その傾向は今後もしばらく続くとみられている。
しかも、これは氷山の一角だ。政府統計によると、被害を受けた男性のうち、実際に警察に通報したのは3分の1にも満たない。報告されなかった事案は年間で約50万件以上に上ると推定されている。
🤐 「男が暴力を受けるなんて…」という沈黙の壁
この“沈黙”には、深く根を張った社会的バイアスがある。
「男が女に殴られるなんて、笑い話だろ」「身体も大きいし、逃げられるはずじゃないか」「弱音を吐くなんて、男のくせに情けない」
こうした言葉が、男性被害者の口をふさいできた。身体的に強いとされる男性が被害者であると名乗り出ることは、「自らの弱さ」をさらけ出す行為とみなされ、恥とされてきた。
その結果、暴力を受けても相談できず、通報せず、ただ耐える。暴力はエスカレートし、心も体もむしばまれていく。そしてついには、誰にも知られないまま人生を壊されてしまう──そんなケースが、決して珍しくないのだ。
🧠 社会がようやく気づき始めた「もう一つのDV」
だが近年、ようやく状況は少しずつ変わってきた。
ジェンダー平等運動の拡大やLGBTQ+の権利擁護、そして男性支援団体による地道な活動が、社会のまなざしを変えつつある。男性もまた被害者になり得る──そんな認識が、ようやく浸透し始めたのだ。
それに伴い、通報率の改善という動きも見えてきた。2017年には被害にあっても警察に通報しなかった男性が49%にのぼったが、2022年には21%まで減少している。つまり、「声を上げられる男性」が、少しずつ増えてきたのである。
💻 DVの“かたち”が変わってきている
もう一つ、見落としてはならないのが、DVの内容そのものが多様化しているという点だ。
身体的暴力だけでなく、精神的な虐待、経済的コントロール、ストーキング、さらにはサイバーストーキングといった、“見えない暴力”が顕著に増えている。たとえば:
- 家族内での暴力:約61万人
- ストーキング被害:約54万人
- サイバーストーキング:約18万人
これらは身体に傷を残すものではないかもしれない。しかし、心には深く、長く残る“見えない傷”を刻み続ける。
スマートフォンの通知に怯え、SNSの監視に神経をすり減らし、給料をすべてパートナーに握られ自由を奪われる…。そうした“暴力”が、確かにここにもあるのだ。
🏚 支援の「空白地帯」に置き去りにされる男性たち
とはいえ、現実の支援体制はまだまだ不十分だ。
DV犯罪のうち、男性の被害が占める割合は約27%。にもかかわらず、支援を受けられている男性は全体の**わずか4.8%にとどまり、安全な避難所に保護された男性は約1,830人、全体のたった3%**という現実がある。
「マンカインド・イニシアティブ」などの男性専門支援団体も存在するが、その多くは限られた予算と規模の中で運営されており、全国的な支援ネットワークの整備には程遠い。
誰が、どこで、どんな支援を受けられるのか──その情報すら知らない被害者も多い。
✊「加害者に性別はない。被害者にも、性別はない。」
イギリスにおける男性DV被害者の増加は、単なる統計上の“異常値”ではない。
それは、「沈黙を強いられてきた男性たちが、ようやく声を上げ始めた」という、社会の変化の証でもある。
私たちは今、ようやく“誰もが被害者になり得る”という本質に気づき始めた。そしてこの気づきこそが、DVという深く根強い社会問題を解決するための出発点なのだ。
最後に、こう問いたい。
「男が泣いて、なにが悪い?」
泣いてもいい。助けを求めてもいい。勇気とは、声を出すことだ。
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